芦沢央『夜の道標』- 常識とは?正しさとは?虐待を受ける少年と殺人犯の物語

  • URLをコピーしました!

小学校6年生の波留は、不意に声をかけてきた友人・桜介の目の前で交通事故に遭った。

命に別状はなかったものの、桜介は自分のせいだと落ち込む。

しかし実はこれは事故ではなく、波留はわざと車にはねられたのだった。

なぜなら、実の父親から「当たり屋として慰謝料を稼いで来い」と言われていたから―。

父親による虐待はこれだけではなく、波留は満足に食事を与えてもらっておらず、いつも腹を空かせていた。

そんな波留が頼りにしたのは、近所の家の半地下で隠れるように暮らしている一人の男だった。

波留はそこに通い、総菜をわけてもらうことで、なんとか飢えをしのいでいた。

ところが桜介は気付いてしまった。

その男が、2年前の殺人事件で指名手配されていることを―。

目次

小窓を挟んで紡がれるドラマ

『夜の道標』は、人間の尊厳や人として何が正しいのかを深く考えさせてくれるミステリー傑作です。

物語は1998年、小6の波留が交通事故に遭うところから始まります。

波留は父親と二人暮らしなのですが、この父親がロクデナシで、波留の運動神経の良さに目を付け当たり屋をさせて慰謝料で生活しています。

可哀想に波留は父親に逆らえず、死なずに済む絶妙なタイミングを狙って車に飛び込む日々。

せっかくの運動の才能をこんなことにしか使えず、少年らしい夢や希望も持てず無気力に生きています。

しかもネグレクトにより常に空腹なのがまた可哀想すぎて……、この父親には本当にはらわたが煮えくり返ります!

波留はこの空腹を、近所の半地下に潜む阿久津という男から総菜を恵んでもらうことでしのいでいました。

しかし阿久津は、なんと殺人事件の容疑者!

2年前に塾講師を殺したため警察に追われているのですが、知人が地下室に匿ってくれています。

当然地上に姿を出すわけにはいかない身ですが、阿久津は腹をすかせた波留を見かねて、小窓からコッソリと自分用の食事である総菜を分け与えています。

こんなにも優しい阿久津が、どんな理由があって人を殺したのでしょうか?ここが『夜の道標』の一番の鍵となります。

殺害されたのは、知的障害や情緒の問題を抱える子供を支援する個別指導塾の講師・戸川。

実は阿久津には幼い頃から発達に障害があり、かつてこの塾に通っていました。

つまり戸川は阿久津にとって恩師なわけですが、その彼を阿久津は大人になってから殺害したのです。

知的なハンデを持ちつつも、純粋で優しい心を持つ阿久津がどのような動機で殺人を犯したのか。

そして波留はそんな阿久津を慕い心を開いていくのですが、この交流が二人に何をもたらすのか。

陽の当たらない場所でひっそりと紡がれる彼らのドラマは、時に切なく、時にスリリングで、読み手は否応なしに心を奪われていきます。

真相はかつての日本の残虐性にあった

『夜の道標』は、4人の主要人物の視点を切り替えながら進んで行く群像劇となっています。

●波留:父親から当たり屋を強要されている少年。
●桜介:波留の友人。波留の才能に憧れつつも、生活を心配している。
●豊子:阿久津の中学時代の知人。阿久津を地下室で匿っている。
●正太郎:阿久津を追う刑事。上司に疎まれている窓際族。

以上の4名で、中心となっているのは波留ですが、他の3名もそれぞれに苦しい立場であり、目が離せません。

たとえば桜介は普通の家庭で育った常識的な少年なので、友達が車に轢かれたり指名手配犯の所に通っていたりという事実はかなり衝撃的であり、平常心ではいられなくなります。

また豊子は、阿久津の事情を知った上で地下室に匿っているものの、いつかはバレてしまうと予感しており、こちらもやはり気が気でない様子。

そして刑事の正太郎は、事件後2年が経過して捜査が縮小されている中、なんとしてでも阿久津を探し出そうと地道な努力を続けています。

このように全員が重荷を背負っており、どの人物もいっぱいいっぱいになりながら必死に頑張っているので、応援したくなります。

でも豊子が予感していた通り、いつまでもこのままではいられず、正太郎は核心に近付いていきます。

やがて事件の真相が明るみになるのですが、ここが本書最大の見どころとなります。

殺人の動機には、当時の日本が当たり前のように行っていた無慈悲なことが関係しています。

決してフィクションではなく、本当に実施されていたことであり、場合によっては同じ理由で戸川のように殺される人が出てきても不思議はありません。

それほど残酷なことなので、今を生きる我々はこの過去を埋もれさせず、知っておくべきだと思います。

そういう意味でも『夜の道標』はおすすめの一冊です。

圧倒的な魅力で迫る10周年記念作品

『夜の道標』は、作家デビュー後10周年を迎える芦沢央さんの、記念すべき作品です。

芦沢央さんと言えば、ミステリー以外にホラー作品も執筆されていて、いずれも心の闇や社会の闇を繊細かつ鋭く描き出すことで定評があります。

不安感たっぷりに物語を進行させておき、読者がめいいっぱいゾクゾクしたところで、ホッと心温まる瞬間を持たせるところがニクイ作家さんです。

10年目の節目となる本書『夜の道標』は、まさに芦沢央さんの良いところが詰め込まれた作品だと思います。

虐待されている少年が知的なハンデを背負う殺人犯と交流するという構図は、あまりにも不穏であり、読み手をギクギクさせます。

彼らを取り囲む桜介や豊子、正太郎たちもそれぞれに不安定で、その焦燥感や心細さは読者の心をも蝕みます。

その上で明かされる、かつての日本の非人道的な行為。

そしてそのような中でも、波留と阿久津の心の繋がりは温かく、人として本当に大事なことは何なのかを気付かせてくれます。

ハラハラするけど胸が熱くなる、怒りで震えるけど救いも見いだせる。これが『夜の道標』の魅力です。

ぜひ味わいながら読んでください。

そして読み終えた後には、改めてもう一度タイトルを見ていただきたいです。

込められていた意味に気が付き、きっとますますこの作品が心に焼き付くことになると思います。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。主に小説全般、特にミステリー小説が大大大好きです。 ipadでイラストも書いています。ツイッター、Instagramフォローしてくれたら嬉しいです(*≧д≦)

コメント

コメントする

目次