殺すのは簡単である。
しかし、その後に関してはそうはいかない。
当然警察が殺人について捜査を始め、殺めた側を突き止めんと追ってくる。
隠すにも、今日人が足を踏み入れない場所も少なくなってきている。
探す側の技術が日進月歩の一方で、探される側はさほどに進歩を遂げてはいなかった。
ある男は、衝動的に妻を殺した末隠す場を探しに探し、実家より車で1週間はかかる深い山の中に彼女を捨てたはいいが、深い山の中だった故に昆虫採集の穴場スポットと化しており、山を下りる前に、昆虫愛好家のグループに死体を発見され、あえなく捕まったという話もある。
とにかく、殺人は割に合わなかった。
だが、需要がないわけでもない。
誰しもが、強度の差はあれど殺意を抱いている。
否定できない事実であった。
理性、法律、感情、様々な枷に囚われてはいるものの、殺意は時に気まぐれにその枷を抜け出て来る。
実行に移すのはためらわれるが、さりとてそのままにしてもおけない。
そういった時に出て来るのが殺し屋であった。
一口に言ってしまえば、人を殺めることを生業とする職業である。
雇われている者から、いわゆるフリーまでその形態はさまざまである。
殺し方も千差万別で、中には奇想天外が過ぎて小説で描けば荒唐無稽と評されるようなものもあった。
依頼相手も多岐にわたり、企業間の競争、非合法組織による抗争、はたまた一般人による怨恨など様々だった。
ともかく、この『仕事』は存在し、かつその『遂行』は今日も行われていた。
標的にとっては恐怖の時間であった。
突然に襲われ傷を負わされて、今もまだ追いかけられているのだから。
女を買おうなどと思ったのがそもそもの間違いだった。
妙に積極的で美しい彼女の誘いについつい乗ってしまい、こんな人気のないところまで連れてこられた挙句に、殺し屋に追われているのだ。
「待て待て! いくらで、いくらで頼まれた?! 倍出す! 倍出す!」
罵倒と命乞いをひとしきり叫び尽くし、最後に譲歩を試みながらもそれが実る可能性は低いとみて、標的はひたすらに走っていた。
襲撃者は全身黒づくめ、顔もうかがえず怪物的な恐怖を漂わせていたからだ。
怒りなどの感情を出してくれれば、まだ恐怖心は抑えられたかもしれない。人は往々にして理解ができるはずのものが、理解できない状況に恐れを抱く。
標的は走り続けたが、体力は限界を迎える一歩手前だった。
助けを求めても誰も現れず、電話をかけるだけの時間があれば走らないと襲撃者に追いつかれそうであった。
「うわっ」
そして、体力の限界がやってくるよりも先に、彼の脚は大地を掴み損ねて主を激しく転倒させた。
立ち上るか這いずって逃げるかを判断するよりも早く、襲撃者は彼の前に立ちはだかっていた。
「ま、まま―」
待てと言葉にならなかった。
襲撃者の突き出したナイフが彼の喉を抉り、おぞましい赤い噴出を咲かせたのだ。
しばらくの間標的は喉を抑えながらしきりに動き回ったが、不意に糸の切れた操り人形のように崩れ落ちて徐々に痙攣を小さくしていった。
襲撃者は彼の目をのぞきこみ、光を当ててとうとう反応が無くなったことを確認すると、早くなく、しかし遅くもないごくごく普通の速度でその場から歩き去って行った。
それからたっぷり30分ほどが経った頃だろうか、倒れていた標的は、驚くべきことに徐々にその生命を取り戻しつつあった。
喉の傷はそのまま、流れ出た血が戻るわけでもなく、血の気の失せた到底生きていると思えない肌で立ち上ったかれは、生ける屍そのものだった。
「ふう、やれやれ……何回やられても慣れないなあ。しかし、誰だろうか? Sのやつかな……しつこいんだから。あーあ、俺も再生するタイプにしよっかな。ともかく病院病院」
そのようなことを呟きながら、標的はとことこ、早くなく、しかし遅くもないごくごく普通の速度でその場から歩き去って行った。
小さな、しかし品が良く並ぶ酒や調度品は一級品ぞろいのバーで、襲撃者とどこか似た雰囲気をもった男が、酒を酌み交わしていた。
「どうだい景気は」
「悪くないが……どうにもな」
「モチベーションの低下かい?」
「ここ最近はな……まったく、不老不死の社会なんて今でも信じられないな」
「殺し屋が、死なない相手を殺すなんて笑い話にもならないからね」
「今やどんな怪我も病気からでも生き返れるっていうのに、殺し屋の需要はなくならない。有難い事なんだが……」
「一応痛みや恐怖は感じるからね。それに、殺意を向けられてるっていうのは誰でも嫌だから、全く無意味じゃないよ。いいじゃないか、今までは絶対になかった、もう一回同じ人を殺してくれって言う依頼でお金がもらえるんだから……」
(了)
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星夜 行(ほしや こう)というペンネームで書いてます。
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