ソイツは紛れもなく僕の目の前にいる。
体は病人のように瘦せ細り、肌は青白いを通り越して黒と紫色の中間のような毒々しく不健康な色。
その様だけを見ると、まさしく病人のような有様だ。
だが、血走った赤い瞳に、どんなものでも八つ裂きにしてしまいそうな鋭利な爪、獲物を丸のみにしてしまいそうなほど大きく口から覗く、一本一本がナイフのような残虐な歯。
その全てが、ソイツが明らかに病人ではないことを示している。
頭部に髪はなく、代わりに奇妙な触角が二本生え、蛇のように長く気色の悪い舌を伸ばし、手には血で錆びついた槍を握っている。
僕の眼前に佇むそれは、その姿はまさしく悪魔そのものだ。
「なんなんだ、君は?」
俺はソイツを刺激しないように慎重に尋ねた。
しかし、あまりの恐怖で発した声は過剰に震えてしまう。
「さぁ?何だと思います?」
ソイツは、そのおどろおどろしい見た目に反して嫌に丁寧な口調で聞き返してきた。
だがその声もまた羽虫が耳元を飛び交うような耳障りな音だった。
「わからない。でも、僕にはお前の姿が悪魔に見えるよ」
「悪魔、ですか。フフフ、ヒャヒャヒャヒャ」
ソイツはとても愉快そうに、しかしひどく不愉快な声で笑う。
「何がおかしい?」
「いえいえ、大したことではありません」
そうは言いつつも、ソイツはむき出しの不健康そうな肌色のお腹を押さえ、忍び笑い浮かべたままだ。
「では、こういうのはどうでしょう?あなたが私の正体をあててみてください」
ソイツは面白い遊びを思いついたといった感じで楽しげに笑う。だがその笑顔は獰猛な化け物のそれだ。
「やっぱり、僕には悪魔にしか見えない。違うのか?」
「当たらずとも遠からず言ったところでしょうか」
「なら、宇宙人だ。お前のような姿の生き物がこの星にいるなんてことは聞いたことがない」
「なるほど。ですが、残念。違います。私は、いえ私たちは地球出身ですよ」
そう、このおぞましい悪魔のような化け物は一体だけではない。
コイツらは忽然と出現し、まるで地球を侵略する宇宙人のように数を増やしていった。
「じゃ、じゃあ、地底人なのか?ずっと地中に潜んでいて、僕たち地表人を征服する時をまっていたとか?」
「ヒャヒャヒャヒャ、おもしろいことをおっしゃいますね。ですが、地面の中で暮らせるのは、モグラか虫くらいのものですよ」
「……じゃあお手上げだ。僕にはわからないよ」
ソイツは背筋に寒気を覚えるような奇怪な笑い声を抑え、そのグロテスクな目で僕を見つめる、まるで心根を探るように。
「本当にわかりませんか?」
「ああ、全然わからないよ。わかっているのは、君たちが、僕ら人類の敵ということだけだ」
「それは……、正解です」
悪魔のような姿をしたコイツらは、突然現れ、そして人類を滅ぼした。
「どうして君たちは、僕らを攻撃したんだ」
僕の声が次第に大きくなっていくのがわかる。
「どうして人類を滅ぼしたんだ!」
不思議と、先ほどまで感じていたあの身の凍るような恐怖心はどこかへ飛んでいってしまった。
代わりに、今はふつふつと沸き上がる憎しみと怒りが、僕の体を満たしている。
「僕の恋人を、家族を、友人たちを……、どうして、どうしてっ!」
僕は気が付くと、目の前のソイツに掴みかからんばかりに、怒鳴り声をあげていた。
人類は滅亡した。唐突に出現した、恐ろしい姿をした者たちによって完全に滅ぼされてしまった。
愛しい恋人も、大切な家族も、親しい友人も、すべて奪われたのだ。
おそらく、今は僕だけが唯一人類で生き残っている。
だが、それも残りわずかだろう。僕もすぐに目の前にいるソイツに消されるのだ。
「どうして?それは全てのモノがあなたたちを消すことを望んだからですよ」
「それはどういう意味だ?」
「まだわかりませんか?」
僕の顔を見つめるソイツの恐ろしい顔が、ひどく呆れているように見える。
「地球に住むありとあらゆる生命が、あなたたち人類の存続を拒んだのです」
それから、ソイツは両手を広げ、周囲を指し示す。
「見てください、この悲惨な景色を。山は削られ、海は埋められ、森は切られ、空気は淀み、川は汚れている」
ここには確かに、開かれた平地の上に立つビルと塗装された道路ばかりの景色が広がっている。
あなたたち人類が存在しなければ、こんなものはつくられなかった。あなたたち人類がいなければ、他のあらゆる生命が、住処を、生存を、無為に奪われることはなかった」
ソイツは先ほどの僕以上に憎々しげな表情していた。
「私たちはね。あなたたちが垂れ流していた汚染水やゴミから生まれたのです。ですから、人間であるあなたには、私の姿をおぞましく汚らわしいものに見えるのです」
僕は何も言えなかった。
「私たちは、人類を滅ぼし、地球を守るため、人類の愚行によって生み出されたのです」
ソイツはゆっくりと錆びれた槍の切っ先を僕に向ける。
「あなたは先ほど私を悪魔だ、とおっしゃいましたね」
「……ああ」
僕はこくりと頷く。
「ですが、私たちからすれば、山を削り、海を埋め、森を切り、川を汚し、生き物たちの生きる場所を平気で奪っていく、あなたたち人間の方がよほど『悪魔』に見えますよ」
槍の先端が真っすぐに飛んでくる時になっても、結局、僕はとうとう、何一つ言い返すことができなかった。
(了)
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