幼い頃に事故で両親を亡くしたエル氏は、ずっと孤独に生きてきた。
誰もがエル氏を見ると眉をひそめる。
それは醜い容姿ゆえのことだったが、誰からも相手にされず人を遠ざけているうちに、性格までひねくれてしまっていた。
容姿にも性格にも難があるとなると、これはもうどうしようもない。
いくらエル氏が嘆いたところで、世を恨んだところで、さらに状況は悪化する一方なのである。
いっそ死んでしまおう、何度そう思ったことか。
しかし思うだけで実行に移す勇気はなく、ここまで来てしまった。
そんな風に、夢も希望もなく、早くも人生に見切りをつけたエル氏であったが——
50歳を目前にして彼はついに希望を見つけた。
それはこの世界のどこかにあるという『犯罪のない国』の噂を耳にしたことから始まった。
最初は「ふん、そんな国があるものか」と全く信じていなかったエル氏だったが、それからというもの何をしていても『犯罪のない国』のことが頭にこびりついて離れてくれない。
そしてその思いはどんどん膨らんでいき、ある日爆発する。
「えぇい、どうせ俺がいなくなっても誰も心配しちゃくれないんだ。『犯罪のない国』ならば、俺みたいな者でも受け入れてくれるかもしれないではないか」
かくして彼の旅は始まったのであった。
その道のりは困難を極めた。
それもそのはず、国の位置どころか存在するのかどうかも分からないのだから。
「はぁ、また違ったか……。一体どこにあるんだ『犯罪のない国』ってのは」
旅の道中、出会った人々に『犯罪のない国』を知らないかと尋ねると、何十人かに一人は聞いたことがあると答えてくれる。
しかしあとには決まって、はっきりした場所は分からないと続くのだ。
それでも後戻りはできない。なんたってエル氏には帰る場所などないのだから。
「くっ、諦めるものか。絶対にあるんだ、こんな俺を温かく迎えてくれる国が」
過酷な旅を続けながらもエル氏は夢想する。
『犯罪のない国』とはいったいどんな国なのだろうかと。
きっとその国の住民たちは優しく笑顔で俺を受け入れてくれるんだ。
そこで俺も毎日、笑って暮らすんだと。
しかしどれだけ歩いても、見つかるのはエル氏が暮らしてきたのと同じような国ばかり。
ただでさえ醜い容姿が長年の旅でさらに醜くなった彼を受け入れてくれる国などどこにもありはしない。
7年の月日が流れ、それでもまだ見つからない。
「本当にあるのだろうか『犯罪のない国』は……。ひょっとすると俺はあるはずのない国を探し求めているだけではないのか」
これまでエル氏は意地になって旅を続けてきた。
しかし終わりの見えない旅に、果たしてゴールはあるのだろうかと、ここへ来て疑問に思うようになっていた。
「もうだめだ。『犯罪のない国』は存在しないんだ。この世に俺を受け入れてくれる国なんてひとつもないんだ。ちくしょう」
とうとう精も根も尽き果てたエル氏は、次に見つけた国を旅の最後にすると決め、重い足取りで歩き始める。
そのまま20kmも歩いた頃だろうか、いきなり目の前に薄汚れた壁で囲まれた国が現れたのだった。
痛む足を引きずり、壁の途切れた箇所に近づくエル氏。
するとそこには小さな木の板で『犯罪のない国』と書かれてあるではないか。
「えっ?!」
エル氏は手の甲で激しくまぶたをこすり、もう一度木の板に顔を近づける。
『犯罪のない国へようこそ』
「や、やったぞ!俺はやったんだ!ついに見つけた。本当にあったんだ『犯罪のない国』は」
エル氏ははやる気持ちを抑えて、錆びた門を叩いた。
するとギィッと音を立て、門が内側に開くのだった。
「さて、どれほど素晴らしい国だろうか、きっと笑顔で俺を迎えてくれるに違いない」
今まで一度も見せたことのないような笑みを浮かべて大きく足を踏み入れたエル氏だったが、目の前の光景にたちまちその表情が曇る。
「おや、何なんだこの汚らわしい町は。まるでこの世の地獄じゃないか」
そこに広がっていたのは、荒れ果てた家々とそれ以上に薄汚い住民たちだった。
ここは本当に『犯罪のない国』なのかと首をかしげるエル氏に、何人もの住民が無表情、あるいは怒りの形相で駆け寄ってくる。
どう考えても歓迎ムードではないその様子に、エル氏は思わず後ずさるが、背後からも囲まれてしまう。
次の瞬間には荷物を奪われ、衣服をはぎ取られてしまった。
あっという間もなく、身ぐるみはがされたエル氏が見たのは、手に手に奪った物を持ち、走り去っていく住民たちの後ろ姿であった。
何が起こったのか理解する間もなく、再びエル氏を悲劇が襲う。
すべてを奪った住民の一人が彼の命までをも奪おうとしたのだ。
頭上に落ちてきた大きな金づちを間一髪のところで交わしたエル氏が叫んだ。
「な、何をするんだ。こ、ここは犯罪のない国じゃないのか?!」
「ええそうですとも、ここは『犯罪のない国』。つまり、法を犯しても罪に問われることのない素晴らしい国なのですよ」
エル氏がその言葉を理解した時には、すでに頭上に大きな金づちがめり込んでいた。
(了)
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