街灯ひとつない、夜の路地。
仕事帰りの青年は、とぼとぼと帰路についていた。
彼は一流企業の社員だが、まだ新卒二年めで、毎日、上司にこっぴどく叱られていた。
こんなことなら、車にでも轢かれたい。
そう思って横断歩道をわたっていると、急に角から車があらわれ、青年の鼻先で止まった。
「おい、おい」
「すいません、ぼうっとしていました」
「なにを勘違いしてるんだ。おまえはいま、たしかに死んだ」
「……ははは、なにをおっしゃる」
「冗談ではないさ。おまえはいま、車に轢かれたんだ」
「……あなたはなんなんですか」
「おれは悪魔さ。死をつかさどる、悪魔さ」
青年は驚いて車を見た。
たしかに、バンパーには血の跡がある。
「すると、本当にしんだのですか」
「そうだ」
「そして、あなたは、悪魔と……」
「信じられないだろうが、そうだ」
「信じられないな。だってあなたは、そのう……」
青年は、悪魔と名のった男を見た。
男は、やすものの背広をきて、どこかのビジネスマンのような風体をしていた。
「あぁ、おまえの言いたいことはわかるよ。だが、よく考えてみな。悪魔がいかにも悪魔みたいな恰好で、うろついていると思うかい。おれだってあまり姿をみせたくない。だけど、おまえがあまりに下をむいてあるいていたから、ぶつかってやったんだ」
その言葉には、ふしぎな説得力があった。
そして青年には、その言い分がすんなりと入ってきた。
「すると、悪魔がぼくなんかになんのようです」
「おまえに、おれのちからを貸してやろう」
「悪魔のちからってのは、なんです」
「くわしくは教えられない。だが、おまえの命を救ったのは、おれのちからだ」
「なんだか、あやしいな」
「断るならそれでもいいんだ。だが、そのときはお前は絶対に後悔することになるがな。おまえはこれから、こうしてつまらない毎日を繰り返していくことになるんだ」
「すると、これは、ぼくの人生の転機というわけか」
「あぁ」
男は、しばらく考えた。上司にたんまり絞られていたので、頭はうまく回らなかった。
だけど、断る理由もなかった。
「よし、やろう」
「よし、それなら、この契約書にサインをしろ」
青年は、驚いて男をみた。
「まさか、金を払えと言うのか」
「少しだけだ。それで悪魔の力がつくんだ。安いもんだろう」
「そういうものかな」
「そういうものだ」
青年は、その契約書をながめた。決して安い金ではなかったが、どうせ友達もいないのだ、使うあてもない。青年はサインをした。
「よし、契約成立だ」
「効果はあるのかい」
「自信をもて、なにもこわいものはない」
「そういうものかな」
「そういうものだ」
「大丈夫だ。いいか、まず胸を張れ。だいじょうぶ、おれがいつでも見ているんだ。いやな上司なんて怖くない」
「そういう……」
「そういうものだ」
悪魔は青年のはなしをさえぎって、そのまま路地に消えていった。
「悪魔か」
とたんに、男は気分が良くなってきた。
なんせ、自分はいま、悪魔と契約を結んだのだ。
悪魔祓いという言葉があるくらい恐ろしい存在。
そいつと契約したのだ。なにも怖いものなどない。男はそのまま、胸をはって帰った。
そしてその自信は、見ためや態度にも現れた。
一か月後、上司の男が、男に声をかけた。
「きみ、最近仕事ぶりが変わったじゃないか。なにかあったのかい」
「いいえ、なにも……」
「そうか、そうか。それにしても、きみはいちやく出世頭になったなぁ」
悪魔のいうことはほんとうだった。胸をはるだけで、こうも人相は変わってくるものなのか。
気持ちの問題かも知れない。だけど、それだけではない力を青年は感じていた。
自分の人生はいまはじまったのだと、自信に満ちあふれていた。
そしてあるとき、男のまえに、再び悪魔が現れた。
「久しぶりだな」
「あぁ、悪魔さん。お久しぶりです。いやぁ、あなたのおかげで楽しいですよ」
「そうか」
「えぇ、そうです。力のおかげです」
「そんなおまえに、悪いニュースだ」
「なんでしょう」
「おまえとは、契約を終えようとおもう」
「なんですって」
「おまえからは十分、かねをもらった。もう十分だ」
それだけいって、悪魔は去って行った。
「そ、そんな」
しかし、男もそう簡単に引き下がれない。
よりいっそう、悪魔にお金を送りはじめた。
このままでは、まやかしの力が消えてしまう。
そう思い、出世して大もうけしたお金も、供え物のために投じた。
男みがきのための金もつかい、時には会社の金を横領することもあった。
そうして、男はまた信用を失った。それでも男は悪魔に金を送りつづけた。
だいじょうぶ、あの力さえあれば、ふたたび成功すること間違いなしなのだ。
するとある時、悪魔が再び、男の前に現れた。
「久しぶりだな」
「あぁ、あなたを待ちわびていたよ。わたしに、どうか力をください」
「そういうわけにはいかないな」
「しかし……」
「どうしても困っているのか」
「はい」
「金だけなら、なんとかなるぞ」
「ならば、金だけでも……」
すると、悪魔はにやりと笑った。
「てっとりばやい方法がある。まずは、そのへんでうなだれているやつを探して、そうだな、車で轢いたふりとかがいいだろう。そうして『おれは悪魔だ』といえば、バカは簡単にだまされてくれる……」
(了)
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星夜 行(ほしや こう)というペンネームで書いてます。
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