ある夫婦がいた。
大きな屋敷に、多くのメイド。広い庭園に、ズラッと並ぶ高級車。
まさに裕福そのもの。誰もがうらやむ暮らしぶりだった。
しかしこの夫婦は、お互いに恨み合っていた。
度重なる浮気、軽蔑、無関心。
そんなものが積み重なり、もはや憎しみしかなくなっていたのだ。
いっそこの世から消えてほしい。夫は、妻の毒殺を計画した。
「酒にコッソリ毒を入れ、飲ませよう。そうすればもう、あの侮蔑の視線ともおさらばだ。思う存分、女遊びができる」
そして妻の方も、夫の毒殺を計画していた。
「料理にコッソリ毒を入れ、食べさせましょう。そうすればもう、浮気に苦しむことはないし、遺産も思うままよ」
意思さえ固まれば、後は早い。
ある晩の食卓で、二人はそれぞれ計画を実行に移した。
ディナーに毒を盛ったのだ。お互いがお互いを殺そうとしているなんて、知る由もなく。
先に動いたのは夫だった。
メイドがディナーを食卓に並び終えると、窓を指さした。
「ほらごらん、今宵は月が綺麗だね」
そして妻が窓を見たスキに、内ポケットから毒の小瓶を素早く取り出し、妻のグラスに一滴垂らした。
冷汗が流れた。
―バレやしないだろうか。もしもバレたら、妻に飛び掛かり、食前酒を無理やり口に流し込んでやろう……。
妻は妻で、毒を盛るタイミングを窺っていた。
だから夫が月の話を振ってきたのは、有難かった。話に乗れば、チャンスを作りやすい。
「あら本当。綺麗な月ね」
と、窓からぼんやりと眺めて見せ、それからおもむろに、夫に冷たい視線を向けた。
「もっともあなたには、あの女の方が、美しく見えるのでしょうけどね」
「な、なんのことだね、女だなんて……」
夫は明らかに、冷汗をかいていた。目がキョロキョロと泳ぐ。
そのスキを狙って、妻は袖に忍ばせておいた毒の小瓶を取り出し、夫の前菜に一滴垂らした。
緊張で心臓が破裂しそうだった。
―もしもバレたらどうしましょう。その時は、この毒入り前菜を、夫の口めがけて投げつけましょう……。
そうとも知らず夫は、妻に食前酒のグラスを差し出した。
この女が毒で苦しむ姿を、早く見たい。
「さぁ、そんな話はよして、食事にしよう」
妻はそれを、即座に拒否。
「わたくし、お酒を飲む気分になれませんの。まずは前菜をいただきましょう。さあ、あなたも召し上がって」
早く食べさせて、この男が毒で転げまわる姿を見たい。
「いや、まずは食前酒だ。なにやら顔色が悪いじゃないか。そんな時こそ酒だよ」
夫は、毒入り食前酒を勧める。
「空腹状態での飲酒は、体に悪いわ。あなたも前菜から食べるべきよ」
妻は、毒入り前菜を勧める。
「食前酒が先だ。マナーは守るべきだろう」
「前菜が先よ。マナーより体への配慮が大事だわ」
「いいから、食前酒だ!」
「前菜を食べなさいよ!」
お互いに、相手を殺したくてたまらない。なんとか毒を口に入れさせようと躍起になった。
―この女、意地でも飲まない気か!
夫はいきり立ち、グラスを持って妻の方へと向かい、顎をつかんで無理やり飲ませようとした。
―この男、意地でも食べない気ね!
妻はカッとなり、前菜を手づかみで夫の口へと押し付けた。
どちらも、決して口を開かなかった。万が一自分の口に、毒が飛び散ったら大変だからだ。
だからお互い、口を硬くつぐんだまま、食前酒を、前菜を、相手の口元になすり続けた。
「旦那様、奥様!どうされました?」
異変に気付き、メイドが廊下から駆け入ってきた。
しかし夫も妻も、口を開くわけにはいかない。黙って相手を睨みつけるしかなかった。
メイドは、双方の口元が汚れていることに気づき、それぞれにナプキンを手渡した。
「まずは、これでお拭きください」
夫も妻も、渡されたナプキンで口を拭った。
少しでも毒がついていたら危険だから、念入りに拭いた。
そしてその直後。
二人が倒れた。
どちらの顔も、みるみるドス黒くなっていった。
両手は首を絞めるかのように喉を抑え、口からは泡がよだれと共に流れ落ちた。
明らかに、毒の症状だった。
二人は床で、数十秒間もがき苦しんだ。もがきはやがて、痙攣に変わった。
そして二人仲良く、ピクリとも動かなくなった。
「あ……」
一部始終を見ていたメイドの口から、声が漏れた。
メイドは二人の死を確認すると、ピョン!と床を跳ねた。
「あぁ~良かった!二人とも死んでくれたわ!」
そして威勢よく万歳をしてから、肩をすくめた。
「笑っちゃうわ。どっちも私に、毒の仕入れをコッソリ頼むのだもの。どっちの言うことを聞いても、私は秘密を知る者として殺される。だったら……」
クックッと声を殺して笑う。
「だったら、二人に死んでもらうのが一番よね」
メイドはやおら、床に落ちた2枚のナプキンを拾い上げた。
「これにも毒を含ませておいて、正解だったわ。二人ともあれだけ拭いたら、毒を吸い込むのも当たり前よ」
廊下の向こうから、バタバタと足音が聞こえてくる。
他のメイドたちが、物音に気付いて駆け寄ってくるのだろう。
「私の仕業だなんて、絶対にバレっこないわ」
鼻で笑い、手にしたナプキンを放り投げた。
「だってこの食卓には、証拠がたくさんあるのだもの。夫婦で殺し合った証拠が、ね……」
(了)
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星夜 行(ほしや こう)というペンネームで書いてます。
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