年が明けて間もない頃、世間がまだ正月気分に浸っている時にある画期的な商品が売り出された。
その名も『感情の缶詰』。
何でもこの缶詰には喜怒哀楽の感情が詰まっていて、中の空気を吸い込むだけでその気持ちになれるという。
喜の缶詰ならば明るい気持ちに、哀の缶詰ならば沈んだ気持ちに、といった具合だ。
正月三が日を過ぎて早々流れてきたテレビコマーシャルを見た大人たちは、当初この商品に懐疑的だった。
感情の空気が入っているとはいっても要するに中身は空っぽなわけだ。
そんなものに誰が金など払うものか、バカバカしいと。
対して興味を示したのが、お年玉を貰って浮かれ気分の子供たちだった。
中身のない缶詰などあるわけがない、きっとものすごいものが入ってるのだろうと興味津々。
いくら親に無駄遣いするなと窘められてもどこ吹く風である。
今なら親にねだらなくても欲しいものは自分のお年玉で買えるのだから。
子供たちは親の忠告を無視して、おもちゃと一緒に並べられたそれを物珍しそうに手に取ってはレジに並ぶ。
ところがいざ蓋を開けてみると、その効果に驚いたのは子供ではなく、大人たちのほうだった。
正月気分で浮かれた子供とは違って、何かと慌ただしく出費の多い年末年始は、親にとって煩わしいことだらけだ。
子供のように手放しで楽しんでばかりはいられない。
それが『感情の缶詰』の空気を吸った途端、身も心も軽くなり喜びの感情が溢れ出してきたのだ。
缶詰の効果のすごさは口コミであっという間に広がっていった。
そして冬休みが終わる頃には、心身ともに疲れた大人がこぞって『感情の缶詰』を買うようになっていたのだった。
もちろん人気が高かったのは、喜と楽の缶詰だ。
ただ、だからといって決して怒と哀の缶詰が売れなかったわけではない。
負の感情も使いようによっては便利なのだ。
例えばあるいじめられっ子は怒の缶詰を使って、いじめっ子達に逆襲した。
ある大根役者は哀の缶詰で、苦手だった泣くシーンを難なく乗り切った。
また意外なところで哀の缶詰は、遺族の気持ちに寄り添うことができるというので、葬儀業者にも人気があったようだ。
やがて春を迎える頃になると『感情の缶詰』はどこを探しても売り切れ状態。
ストレスを抱えた人々は、喜や楽の缶詰を躍起になって探し回った。
ちょうどそのタイミングを計るようにして『感情の缶詰』の新しいバージョンが登場した。
今回はこれまでの喜怒哀楽に加えて、冷静や興奮、驚き、恐怖、やる気、ロマンチックなど他にも様々な感情が追加され、またまた人気を博した。
倦怠期のカップルにはロマンチックな感情が飛ぶように売れ、受験生やスポーツ選手にはやる気の感情が好評だった。
現代社会のストレスを抱えた人々は、こんな商品の登場を待ち望んでいたのだ。
みんなは新しい缶詰の登場を大いに喜んだ。
しかし一番喜んだのは『感情の缶詰』の販売元、ニコニコ物産だろう。
なんといったってこの商品のおかげで、それまで赤字だった経営が一気に黒字に転換できたのだから、社長は笑いが止まらない。
全国から殺到する注文に工場をフル回転させたが、それでも追いつかないほどの人気っぷりだ。
本来なら工場を拡張する、あるいは人員を増やすなどの対応をすべきところだが、この社長はそんなこと考えもしない。元来がケチな性分なのだ。
そんなことにお金をかけなくても、自分のところの従業員をこれまでの倍、いや、3倍でも4倍でも働かせればいい。
そうすればこの忙しさも乗り切れるうえ、さらに売上もアップするというのが社長の考えだ。
そして実際に従業員たちは残業に次ぐ残業で、睡眠時間を削ってまで『感情の缶詰』を大量に生産していった。
もちろん残業代は出ないし、給料が増えるわけでもない。そんなことをしたら、他でケチったものが全て無駄になってしまう。
ところが不思議なことに、ニコニコ物産の従業員たちからは不平不満が一切出ない。
寝る暇もなく働いているにも関わらず、一人として文句を言うものはいないのである。
「諸君、今日も一日、我が社の売上アップのために働いてくれたまえ!」
『感情の缶詰』を発売して以来、社長の朝の挨拶はいつも従業員にハッパをかけることから始まる。
「はい!」
対する従業員たちは声を揃えて元気に答える。毎日の睡眠時間は3時間もないはずなのに、である。
社長はその様子を見て満足げに頷く。
そうして社長室で一人になった社長は『感情の缶詰』を手に取った。
缶詰には『馬車馬のように働きたくなる空気』と書かれている。
「俺がこの空気をこっそり社内に流しているとは誰も思うまい」
社長はにんまりと笑うのであった。
(了)
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星夜 行(ほしや こう)というペンネームで書いてます。
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