ドロンは金に困っていた。
情けないことに明日の食事にも事欠く有様で、今朝から何も食べていない。
「ちくしょー、腹減ったな」
ぐぅっと大きな音を立てる腹をさすりながら、ドロンはそっと辺りを伺う。
「今夜はどの家を狙おうか」
そう、彼の職業は泥棒なのだ。とは言っても、先日長年勤めていた会社をリストラされ、仕方なく泥棒稼業に甘んじているのであるが。
そんなわけだから慣れない仕事に思うようにいかないことも多く、ここ最近は毎日腹を空かせている状態なのであった。
「あーもう腹が減って倒れそうだ。どこでもいいから食い物のありそうな家に盗みに入ろう」
そう呟いたドロンの目に飛び込んできたのは、古びた掘っ建て小屋。
表には『ミラクル研究所』とこれまた古い表札が掲げてある。
表から見た限りでは、盗みに入ったところで金目の物などなさそうだが。
「忍び込みやすそうだしここでいいや」
腹を空かせた彼にとっては金品など二の次。とにかく今は腹を満たすことの方が先決なのだ。
それにどうせ厳重なセキュリティを破って盗みに入る技術もない。
ドロンは足音を立てないよう小屋の裏に回り込んだ。
裏側にはいくつかの窓が並んでいて、そのうちの一つから明かりが漏れている。
「なんだ、無人じゃないのか」
少し前までは会社員だった彼に、人のいる家に押し入る度胸はない。
それでも諦めきれないドロンは、明かりの漏れた窓からそっと中を伺った。
室内には白衣を着た男が一人いて、その前にはずらりと並んだビーカーやフラスコ等、数々の実験器具があった。
「ん?何してるんだ?」
ドロンはそのまま様子を伺う。すると白衣の男がどこかへ消えたかと思うと、すぐに右手にモルモットを持って現れた。
「そういえばここは研究所だったな。ってことは何かの研究をしてるのか?」
その時、男の「ついに完成したぞ!」という声が、ガラス一枚隔てた彼の耳にまで届いてきた。
次に男はモルモットになにやら透明の液体をかけた。すると液体をかけられたモルモットがふわっと宙に浮いた。
「なっ、なんだ?!」
1分と経たず、天井にぶつかったモルモットを男が抱きとめる。
「す、すげー!空飛ぶ薬だ」
ドロンは腹が減っているのも忘れて、食い入るように室内を覗き込む。
さらに男は部屋の隅にまるまっていた猫にも液体を振りかけた。
次の瞬間モルモット同様に、猫が宙に浮いたかと思うと、すぐに天井にぶつかった。
「こりゃすごい!あの薬があれば盗み放題だし、見つかってもすぐに逃げられるぞ」
その2時間後、男が寝入るのを待ってから、ドロンはそっと室内へ忍び込んだ。もちろん空飛ぶ薬を盗み出すためだ。
古びた掘っ建て小屋だからかセキュリティも甘く、あっけないほど簡単に薬を盗み出した彼は、意気揚々と掘っ立て小屋を後にする。
この頃には腹が減ってることなどまったく気にもならなかった。
しばらく歩いて自宅に帰り着いた彼は、薬を使ってできる悪事をあれこれ思い悩んだ挙句、ケチな泥棒ではなく銀行強盗をしようと思いつく。
たとえ警官に追われたとしても、空を飛んで逃げればいいだけなのだから、見つかるのも全く怖くない。
そうと決まれば善は急げだ。その翌日には薬を懐に忍ばせ、ドロンは銀行にいた。
「動くな!金を出せ」
女子行員にナイフを突きつける。本来であればこんな大それたことができる彼ではない。
でも今は空飛ぶ薬があるのだ。いざとなったら空へ逃げればいい、そう思うと彼は大胆になった。
そんなドロンの落ち着いた言動が功を成したのか、女子行員は青ざめた顔で素直に札束を彼に差し出す。
10分後、大量の札束を抱えた彼が銀行を出た直後、サイレンを鳴らしたパトカーが近づいてきた。
「ちっ、やっぱり誰かが通報してやがったか。まあいい」
そう言って彼は懐から例の薬を取り出し、走って逃げながら自分に振りかけた。すぐに体が宙に浮き始める。
「うひゃー、本当に飛んでるぞ!」
見下ろすと追っ手の警官たちがぽかんと空を見上げている。
「捕まえられるものなら捕まえてみろ」
ドロンは警官たちに毒づいて、勝ち誇るように笑った。
みるみる小さくなっていく警官の姿を眺めながら、ドロンにふと疑問が湧く。
「ん?どうやって地上に降りればいいんだ?」
そう思っている間にも、彼の体はどんどん上昇していく。
「おい、止まれ!止まるんだ、コラッ」
しかしいくら叫んでも全く止まる気配がないどころか、少しずつ呼吸が苦しくなってくる。
「く、苦しい。酸素が……」
何とかしようとバタバタもがいていると、今度は体が熱くなってきた。
「熱い、助けてくれー」
だがその声は地上に届くことはなかった。
やがて彼の身体は大気圏に突入し、静かに燃え尽きた。
その頃『ミラクル研究所』の男は薬が盗まれたことに気づいたところだった。
「な、ないっ。重力のなくなる薬が盗まれた!」
空飛ぶ薬だというのはドロンの勘違い、どうやら本当は重力がなくなる薬だったらしい。
(了)
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星夜 行(ほしや こう)というペンネームで書いてます。
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