そのバーは、歓楽街の中心から、歩いて十五分ほどのところにあった。
ほどほどに薄暗く、心地いい音量のジャズをビージーエムに、二人の男が酒を酌み交わしている。
どうやら二人は旧知の仲らしく、久々に再開した、といった様子だった。
思い出話に花が咲くにつれて、重厚なロックグラスに、新しいウイスキーが注がれては、消えていく。
一通りの会話が済んだあと、沈黙を嫌うように、灰色の服を着た男が口を開いた。
「なぁ、キミは死神の存在を信じるかい?」
これまでの会話とは脈絡もない、とっぴな話題に、赤い服の男は目を見開いた。
「死神だって?どうしたんだ、いきなり」
「いや、ふと気になっただけさ。キミはたしか、学生のころに死神や悪魔についての本を熱心に読んでいただろう?だから、今でも死神の存在を信じているのかな?と思ったんだ」
「そういうことか。たしかに、そんな本をよく読んではいたが……。あの本は、単に読みものとして面白いから読んでいただけだよ」
灰色の服の男は、少しがっかりしたような、納得がいったような様子で、グラスをかたむけた。
「なんだ、そうだったのか」
「それに、死神なんて非科学的なもの、存在するはずがないじゃないか」
赤い服の男がそう言い放った瞬間、灰色の服の男はグラスをカウンターに打ちつけながら声を荒げた。
「なんだって?その言葉は、聞き捨てならないぞ!」
「おい、どうしたんだよ!急に熱くなって」
「死神は存在しているんだ。今は目に見えなくても、死期が迫ると見えるようになるんだぞ。実際に死神が見えると言ってからすぐに死んだ年寄りも、たくさんいるんだ。」
早口でまくしたてる古い友人に対して、赤い服の男は、先ほどまでとはまるで違う、呆れたような、さげすんだような視線を向けた。
「ははあん、キミは死神信奉者か。まさかキミが、死神をあがめる頭のおかしいやつらの仲間だったとはな」
「頭がおかしいとはなんだ、訂正しろ!」
「訂正なんかしないさ。俺は前々から、死神信奉者のことが大嫌いだったんだ。あいつらは、なんでもかんでも死神のせいにしたがるからな。年寄りが死神を見ただなんて、単にぼけていただけだろう」
「なんだと!そんなことはない!」
「それに、人間が死ぬのは死神なんかのせいじゃないさ。生き物には、必ず死が訪れるようになってるんだからな。そこらの野良犬やドブネズミや、ミジンコの命も、死神が刈り取ってるとでもいうのかい?そうだとしたら、死神は何億人いても人手不足だろうな」
「死神を侮辱するな!」
「いくらでもしてやるさ。死神なんて、そもそも存在する価値がないのさ。それに、まがいなりにも神を名乗るだなんて、おこがましいったらありゃしない」
「もう許さないぞ!表に出ろ!」
「のぞむところだ!……ウッ……!」
椅子から勢いよく立ち上がったその瞬間、赤い服の男は苦しそうに自分の胸を押さえ、床に崩れ落ちた。
一瞬にして目は輝きを失い、口元からはあぶくがあふれ出した。
「見ろ!死神様の怒りに触れたのだ!やっぱり死神様は存在している!罰当たりめが!」
灰色の服の男は、騒然とする他の客をよそに、高笑いを止めなかった。
「おう、今日はもうあがりかい?ノルマは達成したんだろうな」
「ああ、これを見てみろ。人間の魂が十二個だ」
「おいおい、いつもノルマギリギリ、窓際死神のお前がどうしたってんだい。ノルマをふたつも超えてるじゃないか」
「いやな、いつも通りきっかり十個の魂を回収して、さぁ人間界から帰ろうかって時にだ、ぎゃあぎゃあ騒いでいる人間が二人いたのさ。えらく盛りあがってやがると思って、そいつらの会話をちょっと聞いてみたのさ」
「ほう、どんな会話だったんだ?」
「それがな、死神が実在するかしないかで口げんかをしていたのさ。これは面白いと思って、俺はしばらく、その人間たちの様子を見ていたんだけどな」
「死神を信じる人間と信じない人間か。面白そうだな。それで、どうなったんだ?」
「二人ともどんどんヒートアップしてきたんだが、ついに片方の男が、『死神なんて存在する価値がない』だの、『神を名乗るなんておこがましい』だの、聞くに堪えない悪口を言ってたもんでな」
「なるほどな。ついカッとして、魂を刈り取っちまったってのか」
「まぁ、そんなところだ」
「だとしたら、ひとつ分からないことがある。それだと魂は十一個のはずだろう?もうひとつはどうしたんだ?」
「ああ、これは死神を信じていた人間の魂だ」
「おいおい、そいつも何か、お前の気にさわることでも言ったってのか?」
「いや、こいつは死神の悪口なんか言っていない。むしろ、俺たち死神をあがめているようだったし、俺はそいつのことを気に入ったんだよ」
「だったらなんで」
「サービスだよ。姿を見せてやったら、さぞかし喜ぶと思ってな……」
(了)
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星夜 行(ほしや こう)というペンネームで書いてます。
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