みなさんは本を選ぶ際、表紙もひとつの要素となるのではないでしょうか。
本作の表紙に目線をうつしますと、同じソファひとりの女性と同じ背丈の猫がいます。
その猫が足を組んでアイスクリーム容器に手をつっこんで食べているではありませんか。
その姿はまるで映画でポップコーンを食べているかのようです。
その容器がなぜアイスクリーム容器と断言できるかというと、本作の短編のひとつに『猫の愛人』という作品があり、表紙のような場面が出てくるからです。
『猫の愛人』は飼い猫のゴードンがみるみるうちに巨大化していく物語です。
この不可思議な表紙が本作をよく表現しています。
『世界が終わるわけではなく』を生み出したのはイギリスの女性作家、ケイト・アトキンソンです。
訳者の青木純子は、アトキンソンの作品をこのように表現しました。
「悲惨と滑稽が同居する摩訶不思議な世界、そこで交わされる一見無意味に見える会話──このトリッキーな設定にはアトキンソンが偏愛するルイスキャロルの『不思議の国のアリス』の魂が息づいているのかもしれない。(本作 訳者あとがきより抜粋)」
この通り、ナンセンス文学とも言える作品となっています。
本作『世界が終わるわけではなく』は彼女の全12編からなる短編集です。
全ての物語がおおよそ30ページで読みきりやすいです。
それぞれの短編は独立をしていますが、巻頭の『シャーリーンとトゥルーディのお買い物』と巻末の『プレジャーランド』は、シャーリーンとトゥルーディという共通の登場人物が物語を彩ります。
プレジャーランドを読んだときに『世界が終わるわけではなく』のタイトルを考えさせられることでしょう。
それ以外の短編も、ある一編では主役で登場したキャラが、別の一編では脇役として登場するなど偶像劇のような一面もあり、読みこむほど味の出る作品と言えるでしょう。
今回は12編の中でも『魚のトンネル』と『時空の亀裂』についてご紹介いたします。
『魚のトンネル』- 水面の幻想と深層に沈む現実の話
エディは年頃の男の子。彼は魚になりたいと願っていました。
少し自閉的な側面があり、母親のジューンの声が届かないこともしばしばあります。
エディはジューンが18歳のとき生まれました。しかしエディは父親の顔を知りません。
ジューンはエディの前にも妊娠中絶をしていて、エディが生まれたのもジューンが望んだものではありませんでした。
そして現在、ジューンはホークという赤ちゃんを身篭っています。
エディはその赤ちゃんが妹だと知って、明るく妹を迎えようとします。
エディは魚になりたいがゆえに魚類のカタログ作りに没頭し、どこに行きたいか聞かれればディープシー・ワールドという水族館をあげます。
エディがラテン語を独学して、自分が学者かのようにふるまっている姿はかわいらしいところがありますね。
しかし、エディの魚への偏愛ぶりに、ジューンはエディのことを「息子の変人ぶりは遺伝であってほしい、自分の手抜き育児のせいとは思いたくなかった(作中引用)」と考えています。
エディは自分の出生に不安定な気持ちを持ちながらも、ジューンに愛してもらいたいと思っています。
だからこそ、妹の世話をしてジューンのお手伝いをすれば愛してもらえると考えるのでした。
ジューンはエディに対して上手に愛情を表現できていませんが、彼女には彼女なりの葛藤があります。
現実にうちひしがれないために、幻想という概念があるのかもしれない。
そんなことを感じさせる作品です。
『時空の亀裂』- 死は逆説的に生を語る
マリアンヌは夫と息子にレモン・メレンゲパイを作ろうと考えながら帰途についていました。
しかし不運にも途中で事故に遭ってしまいマリアンヌは死んでしまいます。
そして不思議なことに、マリアンヌは事故により変わり果てた自分自身の姿を直視することとなります。
いわゆる『臨死体験』だろうと自分を納得させるも、マリアンヌは蘇生することはなく魂の状態として現世に残ってしまいます。
夫や息子をはじめとしてマリアンヌの魂を認知することはできないのでした。
──マリアンヌは彼らの姿を見つめながら、人生を取り戻していきます。
マリアンヌが事故に遭う前、夫のロバートにときめいたのはずっと前だったという言葉があります。
また、マリアンヌは死んでから家のリビングで多彩なテレビ番組を見る描写などがあります。
人はみんな、生きているときはその繁忙さに、生きながらにして生を認知できていない状態なのかもしれません。
「マリアンヌは人生を取り戻していた。かけがえのない日々、真珠の一粒一粒のように繊細な日常を。(作中引用)」
のように、この物語では、幽霊のような状態となっているマリアンヌを悲観的に描いていません。
胸に抱きたくなるような作品です。
短編を書いたきっかけは博士論文に落ちたから? ケイト・アトキンソンの人物像
作者のケイト・アトキンソンは先述の通り、1951年に生まれたイギリスの作家です。
ダンディー大学英文学科に進学していました。
短編を書き始めたのは博士論文が審査で落とされたショックから立ち直るためのセラピーのためだったといいます。
短編小説コンペティションで一等になったのを境に、雑誌や新聞で短編を発表する機会を持ちました。
また二人の娘を育てながらの執筆であったために、短編のほうが都合がよかったのだといいます。
その経験から現実と非現実の黄金比が誕生したのではないでしょうか。
今ではケイト・アトキンソンは作家活動の功績が認められ、2011年にMBE(大英帝国五等勲爵士)をエリザベス女王から授与されています。
短編集『世界が終わるわけではなく』。
その確かな筆跡をぜひご堪能ください。

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