新生国家イグノラビムスで、200名以上の子供たちの発作が同時期に起こった。
身体を固く折り曲げ、意識は混濁、食事を拒否し、どんどん衰弱していく。
WEO(世界生存機関)の職員アルフォンソは、現地調査要員としてイグノラビムスに赴き、この奇病について医師らと調べる。
またアルフォンソにはもうひとつ、徐張偉博士を捜すという極秘任務もあった。
徐張偉博士は、約20年前に40万人以上もの人々を虐殺した生物兵器の開発者であり、終身刑に処せられていたが、何者かに兵器と共に連れ去られてしまったのだ。
生物兵器による悪夢を繰り返さないため、そしてこれからを生きていく子供たちを救うため、任務に奔走するアルフォンソ。
しかし、これらの裏に衝撃的な事実が潜んでいたことが徐々に明らかになり―。
生命倫理やアイデンティティの在り方を壮大なスケールで問いかける、近未来SF長編!
抹消された某国での奇病
『ループ・オブ・ザ・コード』は、世界によって「抹消」された某国を舞台とした物語です。
なぜ抹消されたのかというと、その国が約20年前に生物兵器で少数民族を大量虐殺したからです。
世界はそれを許さず、恐ろしい事実を歴史から完全に消し去ったのです。
具体的には、まずは国そのものを解体し、そこに新たな国「イグノラビムス」を建国しました。
さらに国名だけでなく、地域の名称や国民の個人名すらも全て変更。
言語や文化も公的記録から削除し、インターネットでも一切の情報が出てこないよう、痕跡をとことん消去しました。
そのくらい徹底的な抹消だったため、イグノラビムスで新たに生まれた子供たちは、この国が本当はどういう歴史を辿ってきたのかを全く知らず、アイデンティティも確立されていません。
この子供たちが奇病で次々に倒れ、調査のためにWEOのアルフォンソが赴くところから『ループ・オブ・ザ・コード』は始まります。
なぜ子供だけが発症するのか、なぜイグノラビムスのみで起こるのか、読者はこの謎をアルフォンソを通して解いていくことになります。
彼にはもうひとつ大きなミッションがあり、かつて某国が使用した生物兵器と、その生みの親である徐張偉博士の行方を追わなければなりません。
急がなければ、世界が必死で塗りつぶした黒歴史が繰り返されてしまうかもしれないのです。
得体の知れない奇病と、凶悪な生物兵器。
400ページ超という長編ですが、凄まじい緊迫感にページをめくる手を止められず、どんどん読み進めてしまいます。
自分の命と人生の在り方
『ループ・オブ・ザ・コード』は近未来の物語、つまりそう遠くない未来の物語なので、今の時代と共通する部分が多く出てきます。
まず世界の設定ですが、恐ろしい疫病によるパンデミックが終結した後となっており、その疫病がなんとなく「新型コロナ」を思わせるのです。
そして、生物兵器を使用した某国の名は明かされていないものの、開発者の名前は徐張偉(シュ・ジャンウェイ)となっており、これまたなんとなく国籍を連想させますね。
さらにその某国を上書きする形で作られたイグノラビムスは、アメリカをモチーフとしており、風景も文化もニューヨークっぽい。
また主人公アルフォンソが所属するWEOは、WHO(世界保健機関)が前身だったりします。
このように今の時代との繋がりが随所にあり、だからこそ読み手はこの世界に鮮明なリアリティを感じます。
200名を超える子供たちの同時期発作も、何者かによる生物兵器の強奪も、作中のあらゆる事件が絵空事とは思えず、「どうなってしまうのだろう?」とハラハラしながら読めるわけです。
また、アルフォンソが発作について調べる様子もリアルです。
心因性の可能性があるため、アルフォンソは発作を起こした子供たちの家族と面談するのですが、このパートが非常に濃密。
それぞれの親に深い思いがあり、家庭の事情もあり、ひとつひとつがヒューマンドラマのように感じられます。
我が子への切実な思いに胸を打たれたり、無責任さに憤ったりと、読み応え抜群!
そして徐々に見えてくる奇病の原因、これがもうかなり深刻で。
それまでの流れが極めてリアルだった分、読者はつい自分の身に置き換えて、思い悩みながら読むことになります。
「自分は生まれてきて良かったのだろうか。この先、生きていて良いのだろうか」と、命や人生の在り方を悶々と考え込んでしまうほどです。
だからこそラストで示される希望は、胸にとてつもなく染み入って来ますよ。
過去の苦痛と未来への希望
『ループ・オブ・ザ・コード』の作者・荻堂顕さんは、2020年に『擬傷の鳥はつかまらない』で新潮ミステリー大賞を受賞してデビューした、若手の作家さんです。
『擬傷の~』は、「ここではないどこかへの逃避」と「過去を消した世界での希望」とをテーマとしたミステリー作品であり、心の叫びを繊細かつ鋭く描き出したことで注目を集めました。
そして『ループ・オブ・ザ・コード』は、受賞後の記念すべき一作目です。
『擬傷の~』と同じく、やはり「過去を消した世界」が根底にあり、過去を安易に捨てることの是非を問いかけてきます。
その上で、辛い過去でも醜い過去でも、背負って生きていくことがより良い未来に繋がるかもしれないと、希望を持たせてくれるのです。
主人公のアルフォンソ自身、自分の過去や、生まれてきたこと自体を否定しながら生きていたのですが、物語を通して少しずつ変化していきます。
発作を起こした子供たち、その家族、同性の恋人、テロリストなど、様々な人々の考え方や生き方が、アルフォンソの「否定」の心を「受容」へと変えていくのです。
そんな彼の変化を追うことで、読者も読了後には少し前向きな気持ちで一歩を踏み出せるようになると思います。
捨てたい過去がある方、自分の生に疑問のある方、生命倫理に興味のある方には、とてもおすすめの一冊です。
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