1978年、パリ。
大学生のナディアは、高名な哲学者シスモンディから矢吹駆を紹介するよう頼まれた。
35年前に思想家のクレールが彼女に宛てた手紙が消失したため、その謎を解いてほしいというのだ。
「わたしにとって人生の重大事」とのことだが、シスモンディは手紙の内容については固く口を閉ざす。
状況から考えるに、誰かが盗んだわけではなさそうだが―。
ところが深夜になって、シスモンディは何者かに手紙を理由に呼び出される。
ナディアとシスモンディが向かってみたところ、そこには全裸の女性の死体があった。
首は切断され、腹には紋様が描かれ、左手には紐が巻き付けてあり、右手には小瓶が握られていた。
この奇妙な死体について調査するため、ナディアは恩師であるリヴィエール教授を訪ねる。
するとリヴィエールは、古い友人イヴォンのことを話し始めた。
39年前、第二次世界大戦直前のパリで、イヴォンもまた首無し死体に遭遇し、ある事件に関わることになったそうなのだ。
ファン待望、「矢吹駆シリーズ」第七弾!
11年ぶりの新作には、あの有名哲学者が!
『煉獄の時』は、現象学的推理を駆使する謎の青年・矢吹駆を主人公とした本格ミステリーシリーズの七作目です。
なんと前作から11年ぶりの刊行という、ファン待望の一冊!
このシリーズは、単に事件を追うだけでなく、毎回有名な知識人をモデルとした人物が登場し、駆と論戦を交わすところが特徴です。
推理に留まらず、哲学、思想、聖書、歴史、時にはオカルト分野においても激しい議論がなされ、そこがシリーズ最大の魅力と言えます。
今作で登場するのは、フランスの哲学者であるシスモンディ(モデルはシモーヌ・ド・ボーヴォワール)と、同じく哲学者でパートナーでもあるクレール(モデルはジャン=ポール・サルトル)です。
この二人のモデルは映画化されたこともあるほど有名で、彼らと駆がどのような舌戦を繰り広げるのか、ドキドキワクワク必至です!
現代Ⅰ:消失した手紙と奇妙な首無し死体
『煉獄の時』は全体が大きく3つのパートに分かれていて、「現代Ⅰ」→「過去」→「現代Ⅱ」の順に進んで行きます。
まずは1978年のパリを舞台とした現代編で、シスモンディが紛失した手紙の謎を解くよう駆に依頼するところから始まります。
失せ物探しの物語かなと思いきや、夜中のセーヌ川で首無し死体が出てきて、一気にダークな雰囲気に。
首が無いだけでなく、手首の紐や小瓶、お腹の紋様など謎の装飾が施されていて、実に奇妙です。
おまけに夜中とはいえ人目に付きやすい場所なのに、犯人はどうやって見つからずにこれだけのことをやってのけたのか、状況的にも謎が多いです。
さらに驚くべきことに、ナディアの恩師であるリヴィエール教授いわく、39年前にも同様の首無し死体が出てきたらしく……。
一体これらに、どのような関連があるのでしょうか。
過去:イヴォンとトランク詰めの死体
過去編は、リヴィエール教授が友人のイヴォンから聞いた39年前の話を回想するという形で物語が進みます。
イヴォンという名前に見覚えがある方もいらっしゃると思います。
そう、シリーズ第一作目の『バイバイ、エンジェル』に登場した零落貴族の当主であり、物語のキーパーソンとなった人物です。
今作で登場するのはその若き日の姿ということで、第一作目を読んだ方なら見逃せません!
内容も衝撃的で、女性の遺体が次々に発見されます。しかもトランクに詰め込まれていて、首が無い。
イヴォンは行方不明になった恋人を探す過程で、この事件に巻き込まれていきます。
第二次世界大戦直前ということで社会情勢も不安定であり、ナチスやホロコーストなども絡んできて、「現代Ⅰ」とはまた違う緊張感が漂っています。
現代Ⅱ:本質を直観する現象学的推理
怒涛の過去編が終わると、再び現代編に入り、いよいよ我らが矢吹駆の現象学的推理が始まります。
現象学推理とは簡単に言うと、思い込みにとらわれずに物事の「本質」を直観し、それをベースに行う推理です。
たとえば首無し死体の場合、首を切断する理由は「被害者の正体を隠すため」というのがよくあるパターンですが、現象学的推理では「殺人という事実を隠すため」と考えることができます。
このように固定概念に惑わされない推理が現象学的推理であり、駆はこのアプローチで過去にいくつもの事件を解決に導いてきました。
今作も同様で、現在と過去とで複雑に絡み合った事象を本質的な部分で結び付け、体系的に論じていく様子は圧巻!
手紙は果たして消えたのか盗まれたのか、そして死体の首は何のために切断されたのか。
鮮やかな謎解きの先に、驚愕の真相が明かされます。
大幅な改稿により犯人も変更!?
もともと熱狂ファンの多いシリーズですが、今作は11年ぶりの登場とのことで、ますますもって注目を集めています。
しかもこの11年という期間には事情があり、実は『煉獄の時』の雑誌での連載期間は、2008~2010年でした。
つまり連載自体は10年以上前に終了しているのです。
にもかかわらず、なぜ刊行されていなかったのかというと、作者による大幅な改稿があったからです。
これがもう「改稿というより、一からの書き直しでは?」というレベルであり、細部はもちろんのこと、展開や主要人物の立ち位置、さらには犯人まで変更となりました。
加えて笠井さんの体調不良もあり、その結果完成までに11年を要したわけです。
そのため『煉獄の時』を連載時に雑誌で読んだ方でも、本書は新たな気持ちで楽しめると思います。
両方を並べて読み比べてみるのも面白そうですね。
今回初めて「矢吹駆シリーズ」を読むという方の場合、最初は哲学的な流れに戸惑うこともあるかもしれませんが、読み進めるうちにきっと現象学的推理の面白さにハマると思います。
この機会にぜひ、シリーズの魅力に触れてみてください。
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