安壇美緒『ラブカは静かに弓を持つ』- チェロを手に音楽教室に潜入するスパイの熱く美しい物語

全日本音楽著作権連盟に勤めている橘は、上司からミカサ音楽教室にスパイとして入り込むよう命じられた。

レッスンの現場で著作権使用料が発生する楽曲が使われていないかどうかを調べ、証拠を集めるためだった。

橘はさっそくミカサ音楽教室にレッスンを申し込み、生徒として潜入。

昔かじったことのあるチェロを、講師の浅葉に教えてもらいながら、スパイ活動を始めた。

ところがレッスンは思いの外楽しく、浅葉の明るい人柄や他のレッスン生との温かな交流が、閉ざし気味だった橘の心をほぐしていった。

やがて橘は、この音楽教室を裏切りたくないと思うようになる。

しかしそんな思いとは裏腹に、ミカサ音楽教室からは、著作権使用料の支払い義務があることを示す証拠が出てきてしまう。

スパイとしての立場と、心の拠り所となりつつある演奏や交流の場、橘は一体どちらを選ぶのか――。

目次

ヒヤヒヤしながらのスパイ活動

『ラブカは静かに弓を持つ』は、音楽教室に潜入することになった著作権連盟の職員・橘の物語です。

音楽における著作権使用料の問題については、近年何かと話題になっており、聞いたことがある方も多いかと思います。

著作権のある楽曲を使う場合は、たとえレッスンの現場であっても、使用料を支払わなければならないというアレですね。

実際に最高裁で支払い義務が認められているのですが、でも支払うことなくレッスンに対象の楽曲を使っている音楽教室も多いようです。

そこで主人公の橘が、それを探るためにミカサ音楽教室にスパイとして派遣されたわけですね。

ミカサ音楽教室は連盟に対して、著作権使用料の支払い義務を否定する裁判を起こす予定があり、それを牽制するためでもあります。

面白いところは、一般的なスパイ物と違って、橘がごく普通のサラリーマンだという点です。

なんなら橘は内気で繊細なところがあり、幼少時のトラウマからメンタルクリニックで睡眠薬を処方してもらっているくらい。

この気弱そうなサラリーマンが大手音楽教室のミカサに潜入し、バレやしないかとヒヤヒヤしながらスパイ活動をするところが、本書の見どころです。

これだけでも読んでいて面白いのに、さらにワクワクさせてくれるのが、講師や他のレッスン生たちの人柄の良さ。

みんなホント明るくて素敵な人たちで、音楽の癒しのパワーのおかげもあり、橘の病んだ心はどんどん軽くなっていきます。

ところが音楽教室が素敵であればあるほど、スパイ活動をしにくくなります。

だってこんな優しい人たちを騙したり、温かな空間をブチ壊したりとか、したくないじゃないですか。

かくして橘は任務と人情との間で揺れ動くことになるのですが、これがまた潜入時とは異なるハラハラ感に満ちていて面白い!

橘が繊細だからこそ、その葛藤から目が離せないのです。

大切な存在を守るための裏切り

さて後半に入ると、物語はますます緊迫してきます。

橘は結局スパイとして集めた証拠を上司に提出するのですが、「浅葉たちをどうしても裏切りたくない」という思いから、その証拠をコッソリ抹消しようとします。

つまり今度は、ミカサではなく連盟に対してスパイ的な裏工作をするわけですね。

やはりバレたらどうしようとドギマギしながらの工作であり、冷や汗ダラダラの橘の様子はすごくスリリング!

でも序盤のスパイ活動と違って、今回は任務ではなく自分自身で選んだ行為であり、雰囲気が全く違っているところがミソ。

ミカサのみんなを守るために、内気なのに勇気を出して連盟を裏切る橘は、見ていて感動的ですし応援したくなります。

なのに何の因果か、橘が実はミカサにスパイとして来ていたことが、浅葉にバレてしまうのです。

よりによってどうして浅葉になのか、橘にしてみればきっと一番知られたくない相手でしょうに。(だからこそ物語として盛り上がるわけですが…)

しかも橘が下手な言い訳をしないものだから、浅葉は橘をスパイだと完全に思い込み、怒り心頭。

確かに橘は最初はスパイでしたが、今はミカサを守ろうと勇気を振り絞って頑張っているのに。

その心境を思うと、彼の代わりに浅葉を説得したくなってくるくらいです。

職場を裏切り、守ろうとした仲間に裏切者扱いされ、せっかく得た心の拠り所を失うことになった橘。

彼が報われる日は来るのでしょうか。

ラストには、涙なしでは読めないドラマが待っています。

心を震わせる音楽&スパイドラマ

『ラブカは静かに弓を持つ』は、2017年に小説すばる新人賞を受賞してデビューした新鋭の作家・安壇 美緒さんの三作目です。

安壇さんはデビュー時に「何か見えない力を背負った書き手」と評価されたほどの作家さんで、読み手の心を大きな感動で震わせることに長けています。

とりわけ今作『ラブカは静かに弓を持つ』は、橘の葛藤といい勇気といい琴線に触れる部分が多く、安壇さんの三作品の中で最もドラマ性が高い傑作だと思います。

現に本書は第25回大藪春彦賞を受賞し、第6回未来屋小説大賞にも選ばれ、さらには2023年本屋大賞の第2位にランクイン。

今特に注目すべき作品として話題になっています。

心理描写の細やかなヒューマンドラマが好きな方、スパイ物のスリリングな展開が好きな方は、ぜひ読んでみてください。

楽曲における著作権問題に関心のある方にも、現実味のある物語として興味深く読めると思います。

ちなみにチェロがよく登場しますが、専門知識は特に必要なく、音楽に詳しくない方でも問題なく読めますのでご安心を。

むしろ「へえ~、チェロでポップスも演奏できるんだ」など新しい発見もあり、興味を惹かれます。

とにかく多くの方の心に響く本当に素敵な作品だと思いますので、ぜひ!

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この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。主に小説全般、特にミステリー小説が大大大好きです。 ipadでイラストも書いています。ツイッター、Instagramフォローしてくれたら嬉しいです(*≧д≦)

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