1945年、終戦後の東京、暴力団「水嶽組」組長が亡くなった。
後継ぎ息子は戦地から帰還しておらず、やむなく幹部会は娘の綾女に組長の代行をさせることに。
綾女は稼業を嫌っていたものの、敵対勢力に子分の一家が惨殺され、幼馴染も瀕死の状態にされたことに激怒。
敵を徹底的に殲滅し、その功績から名実共に水嶽組のプリンシパル(頭)として認められる。
やがて綾女は闇市で成功し、政治家とのパイプも結び、勢力を拡大していった。
しかし殺伐とした日々を果敢に突き進んでいくその心には、常に死への憧憬があり―。
戦後の混乱期を裏社会から描いた、鮮血と慟哭のクライムサスペンス!
心の叫びが聞こえてくるような作品
極道の後継ぎとなった女性を描いた物語では漫画『ごくせん』が知られていますが、本書『プリンシパル』は全く毛色の異なる作品です。
ヤクザの後継ぎとなった女教師という点では同じですが、『ごくせん』が任侠コメディであるのに対して、『プリンシパル』はとことんシリアスで最初から最後まで悲痛な叫びに溢れています。
というのも、主人公の綾女があまりにも強く、激しく、それでいて切なくて危ういのです。
ただでさえ燦々たる状況だった終戦直後の東京で、父親の死、望まぬ跡取り、そして自分を守るために子分の一家が惨殺され…と、酷なことが連続して起こります。
無残に散らばった肉片とおびただしい量の血の中で綾女は復讐を誓い心を奮い立たせるのですが、まだ23歳の女性にとってこれがどれほど辛いか。
惨状から決して目を逸らすことなく、暴力の世界で生きると決意するその痛々しい姿には胸を打たれます。
復讐を遂げてからも他の敵対勢力との抗争は止まず、闇市での利権争いを中心に血みどろの日々が続きます。
そんな中でも綾女は気丈にふるまい組長として強くあり続けるのですが、心の奥底には常に自責の念と死を渇望する思いとがありました。
それを覆い隠すためにヒロポン(戦後の日本で蔓延した覚醒剤)を常備して飲んでおり、それがまた痛ましい。
終盤にはすっかり中毒患者になり、ボロボロになり、それでも綾女は戦おうとするのです…。
とにかく行間から彼女の心の叫びがずっと聞こえてくるような、とても胸の詰まる作品です。
無慈悲な展開にページをめくる手を止められず「なんとか報われて欲しい」と願いながら一気読みしてしまいます。
戦後の日本のリアルとスリル
『プリンシパル』は、組長代理として生きた綾女の過酷な日々が見どころですが、もうひとつぜひ注目していただきたいところがあります。
この作品、戦後の裏事情が色々と描かれているのですが、それが非常に興味深いのです。
戦後の東京はかなりの無法地帯だったようで、物資不足からスリや強盗が横行し警察はあってないようなもの。
政府も敗戦で力を失い、国民の生活の大きな支えとなったのは、ヤクザが取り仕切る闇市でした。
ヤクザもまた無法者のイメージがありますが、闇市での儲けは莫大なものであり、彼らは存続させるために治安維持に力を入れていたようです。
つまり闇市は無法地帯にありながらも、ルールを設けてきちんと運営されていたわけですね。
目からウロコの戦後裏知識です。
そのような中で綾女の率いる水嶽組は、新宿や渋谷、池袋などでグングン勢力を広げていきます。
ここでまた目からウロコなのですが、闇市を支配する大物ヤクザは政府にとっても無視できない存在であり、政治家たちは彼らを経済の担い手として頼ることもあったようです。
いわゆる癒着であり、『プリンシパル』ではその様子が実に生々しく描かれています。
綾女のもとにも、旗山市太郎や吉野繁美といった政治家が頼りに来ました。
勘の良い方はピンと来るかもしれませんが、この二名はそれぞれ、実在した政治家である鳩山一郎と吉田茂がモデルだと思われます。
この超有名な大物たちが、名前を少々アレンジしているとはいえ登場するのですから、読んでいてテンションが上がります!
この他にも、敗戦国である日本を実質支配していたGHQ、戦後の日本最大のヤクザ組織である山口組など実在した組織が登場し、物語のリアリティとスリルを大いにアップさせています。
しかも綾女は彼らと騙し騙されの泥沼関係になっていくので、緊迫感がすごいです。
実際の戦後史が巧みに練り込まれているからこその、手に汗握る読書体験ができるのです。
使命感と命の重み
『プリンシパル』の作者・長浦京さんは、難病を患った経験があり、闘病生活中に命の重みや生きることについて考えてらしたそうです。
本書『プリンシパル』は、まさにその死生観が前面に出た作品だと思います。
綾女は信頼していた人々が自分を助けるために惨殺されたことから、自責の念にかられてヤクザの世界に入ります。
まるで救ってもらった命を投げ打つように、暴力と謀略にまみれたこの世界で死闘を繰り広げるのです。
文字通り身を削るようなその生き方は、命の重みを痛感しているからこその狂気に見えてなりません。
そもそも戦後の混乱期では、人々は自分自身が今日明日を生き延びることに精一杯な分、他人の命を重く考える余裕をなかなか持てなかったと思います。
綾女の場合はそれが復讐心や使命感であり、全うするためにも自分の命を顧みている余裕がなかった。
そんな悲しく歪んだ信念が、『プリンシパル』からはひしひしと感じられました。
とてもとても、深く考えさせられる作品です。
物語の最後で、綾女はそれまで以上の悲劇に見舞われます。
彼女の人生で最大とも言える苦しみに、読み手は凄まじい衝撃を受けますし、怒りややるせなさも感じることでしょう。
これが大きな余韻となって、この作品や生き方について、さらに深く考えさせてくれると思います。
任侠物が好きな方はもちろん、戦後史に興味のある方、そして生死について今一度じっくり考えてみたい方はぜひ読んでみてください!