「ミステリー」の意味を辞書で引いてみると、神秘や謎、不可思議といった答えが目の前に並びます。
しかし、私が普段使うのは、推理小説という意味での「ミステリー」の方。
そして、今手にしているのは、米澤穂信著『王とサーカス』。
彼の作品は斬新なものが多く、「氷菓」で青春小説と謎解きをミックスさせた時も唸らされましたが、この物語はまた別の意味で、これまでのミステリー作品に一石を投じた小説といえましょう。
そんな訳で、今さら「ミステリー」の意味など、再検索してみた次第なのです。
今回は、先日文庫化した『王とサーカス』について述べるとしましょう。
米澤穂信『王とサーカス』あらすじ
『王とサーカス』は、フリーの記者である太刀洗万智(たちあらいまち)を主人公とした物語です。
警官や探偵ではなく記者が主役ですが、だからといって彼女は経験豊富に数々の難事件を解決してきた……という訳ではなく、今回がなんとフリー初仕事。ちなみに前職は新聞記者でした。
米澤穂信作品を多く読んでいる方ならすぐに気付いたと思いますが、彼女は2004年に発刊された『さよなら妖精』の登場人物です。
当時は高校三年生でした。新聞記者時代が知りたい方には『真実の一〇メートル手前』という作品もありますよ。
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どちらも独立した作品ですので、知らなくても読み進められますが、当時の万智を知っていることでより楽しめますから、順番は問わず触れて頂きたい小説です。
この万智ですが、とても冷静な性格のため、思っていることが顔には出ません。しかし新しい門出となるネパールへと降り立った時、多くの意欲を抱いていたことでしょう。
ところが、その滞在中に「ネパール王族殺人事件」が起こります。
本来であれば観光記事の一つでも書いていたはず万智ですが、当然取材のターゲットをこの事件に定め深追いしていきます。すると、別の事件と出会い……。
この「ネパール王族殺人事件」は、2001年に本当に起きた事件を元にしています。
そのため、そこにポンと日本のフリー記者がいたとしたら……という想像がしやすく、脳内イメージが湧きやすい作品でもありました。
まるで紀行小説のような雰囲気にウットリ。しかし……。
『王とサーカス』は、「ネパール国王殺人事件」が起きるまではいわゆる紀行小説のような雰囲気で進みます。
丁寧な描写で描かれた、日本人ルポライターによるネパール旅行記とも言えましょうか。
例えば、朝食を食べに出るシーンでは、
「店の軒先に小さな屋台が出ていた、コンロと鍋を載せ、若い女がドーナツを揚げている。よく見ればドーナツよりも幾分か細いし、輪も繋がってはいない。そういう食べ物なのだろう。(中略)熱せられた油の匂いに混じって、シナモンの香りが漂ってくる。」
(引用20P)
といった風に、食べ物一つについても丁寧に説明が行われるほど。
この物語では5章タイトルが「王の死」ですので、5章スタートの82ページまでこの流れが続いて行きます。
ここが意外に心地よく、ネパールという国の文化にゆったりと触れることができます。
しかし、この部分を単なる序章として捉えてしまうのはNG!
人によっては退屈かもしれませんが、4章までの登場人物が、後半の謎解きで重要となってくるため、読み飛ばすことなくしっかりチェックしておいてくださいね。
また、実在の事件の中で物語が進むせいか、後半まで現実感を保った手記的なイメージで、静かに引き込まれていく感覚に浸れます。
思いがけない事件に出会ったことで万智の心が大きく成長していく部分からも目が離せません。
この作品はミステリーですが、ジャーナリズムとは何なのか、という大きな問いを投げかけています。
私もこうして文章を書き、掲載している人間ですから、書いた文字が与える影響について考えさせられる場面もありました。
『王とサーカス』を読んだ感想
『王とサーカス』は比較的長めのストーリーで、さらにテンポが良いと言う訳でもありません。
ゆっくりゆっくり、ネパールでの時間が経過していく中で、じわじわと訪れる変化に捉われていく、不思議な感覚の物語でした。
さて、これは「ミステリー」なのか、と読後感じ、「ミステリー」の意味を調べ、謎解きがあるのだから「ミステリー」なのだろう、と肝に落とした作品。
確かに、脳内で犯人捜しはしましたし、伏線も張り巡らされているのですが、それを全く感じさせないまま、ラストまで読ませ、万智は日本へと帰っていきました。
おかしいですよね。
ちゃんと推理させられているのに、それに気づかないなんて……。
おそらくですが、風景描写も心理描写も上手いため、万智と一心同体になったようにネパールで過ごし、万智が見ている世界をそのまま一緒に経験した感覚に陥ったのだと思います。
いや、本当にこの体験は凄い!
米澤穂信さんの作品が好きなら必読の一冊
「王とサーカス」という作品には、確かなメッセージがあります。
それが“サーカス”という言葉に隠されているでしょう。
物語の中で、万智はこのような言葉を受け取ります。
「お前はサーカスの座長だ。お前の書くものはサーカスの演し物だ」
(引用176P)
と。
記者である万智にとって、この言葉は心へ突き刺さるものであったに違いありません。
普段から新聞や雑誌、ネットなど様々な情報に触れていますが、伝えるとは何か、真実とは何か、について「うーん」と唸りを上げてしまいました。
「ネパール国王殺人事件」の裏で起きた事件の真相、万智の成長、同じ宿泊施設で過ごす人物たちとのあれこれ、旅日記を読んでいたはずなのに、気付けば最後を迎え、想像していた以上の気持ちを届けてくれた作品。
最後にあとがきがあり、米澤穂信さんが何故このテーマに触れようと思ったかについても語られています。
あとがきは読まない派の方も多いと思いますが、この作品については、必ず読むべきだと思いました。
次々と訪れる急展開……最近そんな「ミステリー」ばかり読んでいるな、と感じたら是非「王とサーカス」の世界へ触れてみてください。
読後にやってくる不思議な感覚を、是非共有し合いましょう!

コメント
コメント一覧 (2件)
anpo39さん!ヤバいです…この作品の中の出来事は、自分が体験した事としか思えないんです。裏通りを歩いたり、廃墟で人と会ったり…本当にすごく生々しくて万智の目で世界を見ていたみたいです。
ネパールは行きたかった国なので、こんな風に行けて嬉しかったです。ありがとう!万智にはもっともっと旅して欲しいな。南米とかなかなか行けない場所希望笑
林檎さんおはようございます!
それが米澤穂信さんのすごいところですよね!
なんでこんなに生々しく描けるのでしょう。わたしもこの小説のおかげでネパールに行ったような気分になりました。
こんな体験できるのは小説ならではですからね。やはりやめられません。
同じく、万智にはもっともっと旅してほしいですなあ。
わたしも実際にネパール行ってみたい!!