時代は戦下の昭和18年。
陸軍軍人の娘・中久世美禰子は、大鞠家の長男・多一郎に嫁ぐことになった。
多一郎の家系である大鞠家は、婦人化粧品販売の事業で成功を納めたことで富を築いていた。
夫と幸せに過ごすことが予期されたそんなある日、軍医である多一郎は出征が決まり、美禰子は大鞠家との同居生活を始めることとなる。
やがて大鞠家と生活をともにしている美禰子は、一族を襲う惨劇に巻き込まれる事態に…….。
戦時色に染まった不穏な時代の中、度重なる惨劇を目の当たりにした美禰子の行方はどうなってしまうのかーー。
昭和戦時中を舞台にした古典的な推理ミステリー
この作品では、戦時中から戦後にかけての大阪の船場を舞台にした物語が描写されており、戦時下の時代背景ならではの事件が度々巻き起こります。
物語が進行する過程で、時代を生きる人物の聴き慣れない方言や第二次世界大戦中の生活事情など、我々現代人にとって想像が難しい要素も多く含まれています。
こうした読み慣れない内容や背景が描かれているにもかかわらず、まるで過去の時代に遡ったような感覚で物語の世界に溶け込み、臨場感のある物語を味わえるのが、この作品の魅力です。
登場人物の生活風景や個性などにも配慮しており、細やかに描写されているため、苦しい時代を生き抜く人達の人間ドラマのような温かみを力強く感じることができます。
また、当時の舞台や人物の描写に注力しているだけでなく、戦時中という時代を上手く活用した本格的なミステリー要素も盛り沢山です。
「大鞠家殺人事件」の物語で巻き起こる事件は、現代人が経験したことのない戦時中ならではのものが多いです。
ですが、1つ1つの背景を丁寧に説明しながら物語が進行していくため、350ページ弱という長編ミステリー小説でありながら、誰もが情景を浮かべやすいのも興味深い点といえるでしょう。
探偵役の登場人物とともに謎を解く新鮮さ
本書の物語には「民間探偵」なる個性的な人物が登場します。
一般的な推理ミステリー小説では、ある刑事や警察が事件を捜査しながら、真犯人を探していく様子が描かれていることが多いかと思います。
しかし「大鞠家殺人事件」では、民間探偵を名乗る人物とともに、事件の謎解きを進めることになるため、現代を舞台にした小説ではなかなか体験できない新鮮さを味わうことができます。
また、本書には「大阪・船場の大鞠家」というごく限られた空間内で巻き起こる事件が描写されていますが、謎解きのトリックは極めて洗練されています。
したがって、慎重に読み進めなければ、犯人を予想することは難しいでしょう。
ですが丁寧に読み進めていけば、事件解決までの道すじを合理的に理解できる設定になっていることも事実です。
本書では時代背景やキャラクター性などの細かな描写だけでなく、探偵ならではの視点も取り入れられているため、事件に対する探偵の思考や推理が手に取るように分かる工夫が施されているのです。
物語の合間で事件の犯人を推理することが好きな方はもちろん、「民間探偵」を名乗る人物とともに、順を追って謎を解いていく臨場感を味わいたい方にも、ぜひおすすめしたい1冊です。
正統派本格推理の歴史に新たな頁を加える傑作長編ミステリ
芦辺さんは、1990年に長編ミステリー小説『殺人喜劇の13人』で、第1回鮎川哲也賞を受賞し、小説家デビューを果たしました。
また、大人向け小説だけでなく、シャーロック・ホームズを中心とする児童向けミステリー書籍のリライト・翻訳にも注力しており、読者の年齢を問わない作品に定評があります。
基本的には、「本格ミステリー」に特化した作品を数多く残してきていますが、現実ベースの事件モノから、異世界・時代超えの要素を取り入れた非現実的なミステリーまで、執筆するジャンルが幅広いことでも有名です。
そんなベテランの推理ミステリー作家が出版した『大鞠家殺人事件』は、第二次世界大戦の時代を背景にしている点において、我々現代人にはほとんど馴染みのない「非現実的」な描写が多く盛り込まれているのが特徴です。
このような非現実的で馴染みの薄い物語は、読者の理解を妨げてしまう可能性があります。
ですが本書には、経験したことのない時代やミステリー事情を数多く取り入れていながら、順を追って物語を理解できる工夫が凝縮されています。
そのうえ探偵小説ならではの特長も満載のため、まるで読者自身が探偵になったような気分で、物語の謎を順番に紐解いていくワクワク感を感じられるのが、本書の興味深い点といえるでしょう。
これまで多くの推理小説の世界観に触れてきた方だけでなく、これから推理小説に挑戦したいと考えている方も、ぜひこの作品で読書時間を楽しんでみてはいかがでしょうか。
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