数年前から、人間がある日突然に異形の姿へと変貌してしまうという病が発生し始めた。
この病は『異形性変異症候群(ミュータント・シンドローム)』と名付けられた。
不思議なことに、この病は誰にでも発症するわけでなく、若者の中でも引きこもりやニートと呼ばれる層のみに発症した。
異形になった者は極めてグロテスクな見た目をしており、世話をする家族の負担は計り知れないものになる。
話はできず、手話も不可能。つまり人間的なコミュニケーションが一切取れなくなってしまうのだった。
そして、政府はついに『異形性変異症候群』を致死性の病とした。
つまり発症した患者は、その時点で死んだ者とされるのだーー。
『人間に向いてない』
ーーかしかし、かし、かかしかしかしかし。
奇妙な音がドアの向こう側から大きく聞こえてくる。先ほどよりも速く、熱心に、何かが引っ掻いているのだ。美晴は半袖から露出した腕が泡立つのを感じていた。
「……ユウくん?」
P.6より
いつものように昼食が出来たことを伝えに息子の部屋まできた美晴は、中から奇妙な音がすることに気が付いた。
嫌な予感がする。
高校を中退し、引きこもりとなってしまった一人息子の優一。
世間では、引きこもりやニートの若者が突如異形の姿へと変貌してしまう病が発生しているのは知っていた。
しかし、見て見ぬ振りをしてきた。
うちの子に限って、そんなことになるわけない。
美晴は勇気を振り絞り、恐る恐るドアを開けた。
視界に飛びこんできた『それ』に目を瞠り、美晴はみぞおちを引き攣らせた。ちょうどしゃっくりのような音が口から漏れ、思わず言葉を失う。
彼女の足元に『それ』はいた。頭部と思える部分を懸命に上向けて、美晴を仰ぎ見ようとしている。
P.7より
いた。
体と比べてわりあい大きな丸い頭部。側面には複眼があり、蟻のように頑強そうな顎を持っている。頭部から下は芋虫と似ていた。異なるのは、百足のように無数に備わった脚だろう。
頭部のすぐ下、胸部からはアンバランスに細長い枝のような脚が二対伸びている。この四本脚を使ってドアを引っ掻いていたのだと想像できた。それ以外の脚は胸部の二対の半分ほどの長さしかない。
P.8より
人間だった頃の優一の姿はどこにもない。
いま目の前にいるのは、グロテスクは、極めて気持ちの悪い、何か。
つまり、法律的に、死んだと見なされる、息子。
もし、自分の子供が人間でなくなったら
『異形性変異症候群(ミュータント・シンドローム)』。
こう言ってはなんですが、非常に面白い設定の病です。
そしてこの作品は、大切な息子が『異形性変異症候群』になってしまった家族の物語です。
いや、「母親」の物語といった方が良いでしょうか。
優一のお父さんはとても厳しい人で、異形の者になってしまった優一に対して非常に冷酷でした。
「やめてよお父さん、ユウくんの目の前で。現にあの子はここにいるじゃない」
「お前の方こそ勘弁してくれ。医者から死亡のお墨付きをもらったんだよ。死亡届も七日以内に提出しなきゃいけないんだ。これから煩雑な諸手続が待ってるんだから」
「だって……だって変よ。こんなのおかしい」
(省略)
「息子の優一は死んでしまったんだよ」
「じゃあ、後ろにいるのは一体何なの?」
信号は赤だ。
車が徐々に停止し、勲夫はルームミラーを一瞥したあとで口角を下げながら言う。
「ただの、気味の悪い生き物だ」
P.20.21より
むしろ父親は、高校を中退し引きこもりになった息子がいなくなってホッとしているかのような状態でした。
しかし母である晴美は、優一が死んだなんて信じることができない。
姿は変わってしまっても、コミュニケーションが取れなくても、現にここにいるのだから。
母は奮い立つ。
私に何かできることはないだろうか。
ネットで調査をしていると、「みずたまの会」という集まりがあることを知った。
家族が『異形性変異症候群』になってしまった者たちが集まり、活動をする会のようだ。
ここに入会すれば、何か変わるかもしれない。
そう思った美晴は、「みずたまの会」に入会の連絡をとるーー。
これまでのメフィスト賞の中でも屈指の面白さ!
これでもメフィスト賞受賞作は全部読ませていただいているのですが、『人間に向いてない』ほど引き込み力があり、最後まで目が話せない作品は数少ないです。
関連記事:「メフィスト賞」のおすすめ作品16選。面白ければ何でもアリなのだ!
まず『異形性変異症候群(ミュータント・シンドローム)』という病の設定が抜群に面白いですからね。
ありえないんだけど、妙にリアリティのある設定で、「もし家族がいきなりグロテスクな虫になったら……」と考えるとゾッとします。
それでも私は異形の者なった家族を、法律的に死んだ家族を愛することができるのだろうか。と、深く考えてしまいました。
表紙やタイトルはホラー小説っぽいですが、これは母親の愛の物語です。
またストーリー的にも先を気にさせる展開の連続で、
「みずたまの会ってなんか怪しくない?」
「最終的に母親は優一をどうするのだろう?」
など、とにかく結末を気にさせる物語になっています。
私的にメフィスト賞にはトンデモナイミステリー小説を求めているのですが、本作はミステリー小説でないにも関わらず感心してしまうほどに面白かったです。
ミステリー小説好きとか関係なしにおすすめさせていただきます。
特に「あのラスト」については、読み終わった人たち同士で語り合いたいですね……。

コメント
コメント一覧 (6件)
やはり記事にしてくれましたか!
私もつい先日読了したばかりで、その凄さに幸福な読後感を味わっていました
さすがはメフィスト賞
こんな傑作が出てくるからこその賞ですね
「孤虫症」や「屍鬼」に影響を受けているとインタビューにあって、なるほど! と一人納得した次第です
しかし窓を覗けば学生たちが夏休みにむけてそわそわしている時期、羨ましいと感じつつも帰宅後本を片手にベッドへ行く毎日ですので、こういった一気読み本はきっと睡眠時間を削る悪い文明にほかなりません(´・ω・`)
こういった本をまとめて検分しようと思うので、貴サイトを参考にさせていただきます
是非これからもブログ更新頑張ってください
ダイサンさんもやはり読まれてましたか!
ほんとほんと、さすがはメフィスト賞です。これだからやめられません!
いやあ、確かに気がつけば夏休みも近いんですねえ……。
私も相変わらず、本を片手に引きこもる毎日なのですが。ふふふ。。。
ただ睡眠時間を削られるほど面白い作品は嬉しい反面辛いものでもあります笑
嬉しいお言葉をありがとうございます!これからも頑張ります!
いつも楽しく読ませていただいています
私はメフィスト賞の作品はだいたい読んでいるのですが(このサイトで紹介されていたNo推理も読みました!いろいろな意味で衝撃的でした笑)、これはまだ書店で見かけただけで読んでいません
というのも紹介文をみると変身のオマージュっぽいなと思ったからです(正直あの手の話は一度読んだらお腹いっぱいというか、もうたくさんという気持ちになるので…)
ぶっちゃけ似てませんか、これ?
全然違う!というのなら読んでみたいなとは思うのですが(~_~;)
ナナシさんこんばんは!嬉しいお言葉をありがとうございます!
って、No推理読んでいただいたのですね笑 あれはすごいですよねえ笑
そうなんですよ、あらすじをみると、まさに変身そのままじゃあないですか。
そういう意味では現代版カフカ「変身」といってもいいかもしれません。
でもオマージュってほどでもなくて、カフカとは別物として楽しめる作品だと思っております。
両方読んだ身としては、こちらにはこちらの面白さがあると断言できます。
ぜひお手に取ってみてはいかがでしょう?(゚∀゚*)
粗筋だけで涙腺が・・・。
メフィスト賞にこんな深い作品が出て良いんでしょうか(笑)
最近ではNo推理No探偵の印象が強過ぎてついそんな事を思ってしまいます。
これは、買いですね。
はあ、せっかく先日ご紹介頂いた本を携えて大阪に行っているというのに、こんな記事を書かれたら今読みたくなるじゃないですか・・・。
anpoさん、罪な奴っ。
いやほんと、こんなの私の知っているメフィスト賞じゃないです笑
私もついNo推理No探偵みたいのを求めてしまっていたんで、このパターンは完全に予想外でした。
ですが、面白い!!
こういうメフィスト賞もアリなんだと深く思わされました。
ふっふっふ。
罪な奴とは褒め言葉として受け取っておきましょう!(*´∀`*)