事故で娘を失った翔子は亡くなった姉の忘れ形見である息子・良世を引き取る。
しかし良世の父は猟奇殺人を犯した男であり、良世自身も「悪魔の子」と噂されていた。
実際のところ良世は、つかみ所もなく何を考えているかもよく分からない。
養子縁組をして引き取ったものの、不気味な行動も多く翔子には不安が募っていった。
自身の子である娘を亡くしてしまった過去からも、子を育てる資格があるのかという悩みや苦しみに苛まれる。
果たして彼は本当に“悪魔の子”なのか?
翔子、良世が抱えるそれぞれの気持ちと信じるべきものとは・・・。
2人を巡る物語が幕を開ける―。
相手の本当の気持ちは簡単にはわからない
主人公の翔子は、亡くなった姉の息子である良世を引き取り、育てることになります。
良世はとある理由から「悪魔」の子と蔑まれていました。
つかみどころがなく、不思議でどこか不気味な一面すら感じられる良世の言動に、翔子と同じように不安な気持ちになることでしょう。
この場合は亡くなった姉の息子を育てることになった、というシチュエーションですが、私たちが生きている中でもさまざまな状況に置き換えることができます。
まずは実際の親子。血が繋がっているとは言え、育児は簡単なものではありません。
子どもが幼稚園や小学校に上がると生活のすべてを親が監視するわけにもいかず、子どもの口から語られないことも多くなるでしょう。
また、友人関係や会社での上司や取引先との関係でも同じです。
相手の気持ちを読み取ることができない故に失敗したり、二度と関係を修復できなくなったりした経験がまったくないという方はいないでしょう。
今作ではそんな、誰しもが抱える他人の気持ちがわからないことへの不安を丁寧に描いています。
「子どもだから」「普段ああいう性格だから」と決めつけてしまうと大切なものを見落としてしまいます。
人間関係を見直したくなる、そして子どもとコミュニケーションを取ることの大切さを痛感させられる一冊です。
「悪魔」の子の正体とは?
今作ではとある殺人事件がもう一つのテーマにもなっています。
ですが、犯人を突き止める、事件を解決することには重きを置いていません。
その事件の当事者、被害者、関係者たちは、事件のあとどのように生きていくのかが描かれています。
「悪魔」の子と噂される良世はどんな罪を背負っているのか、その重荷を一緒に背負ってあげられるのか、衝撃的なタイトルの本当の意味とは…など、本格的なミステリー小説ではないにも関わらず最後まで一気に読みたくなってしまうこと間違いなしです。
読みながらさまざまな結末を予想してもことごとくいい意味で裏切られることでしょう。
ラストは希望の見える、暖かい涙が流れるような結末が待っています。
そしてこの小説の中だけでなく、日本中、世界中にいる良世のような子どもを救うために何ができるのか、子どものSOSに気づける大人になるにはどんなことをしなければならないのかを強く考えさせられます。
育児をしている方や教育機関で働いている方だけでなく、すべての大人に、子どもが安心して生きていける世界を作る責任があるのだと感じました。
子どもの救済を描く小林氏の最新作
作者の小林由香氏は2016年に「ジャッジメント」で作家デビューして以来、「罪人が祈るとき」、「救いの森」など多数の作品を発表しています。
その作品群の中でもとくに根底のテーマとして「救済」「人間が犯す罪」さらに「家庭内暴力」や「いじめ」などがあります。
ただ必死に生きているだけでも理不尽な思いをする人はたくさんいて、今もどこかで苦しんでいます。とくに抵抗する力のない子どもへの肉体的、精神的な暴力、虐待はメディアに取り上げられることも多く、胸を痛ませている方も多いでしょう。
思わず目をそむけたくなったり、「自分には関係ない」と思い込んだりしたくなるテーマですが、小林氏はそんなテーマに正面から向き合い続けています。
すべての弱者や被害者を救うことはできず、何をしてもどこかで支障が出てしまう、正しい答えはない問題ですが、だからこそ一度自分で考えてみてほしいテーマでもあります。
「まだ人を殺していません」の他、小林氏のこれまでの作品に触れることで、自分の考えも見えてくることでしょう。
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