かつてイギリスには「精霊熊」「罪食い熊」「鎖につながれた熊」「サーカスの熊」「下水熊」「市民熊」「夜の熊」「偉大なる熊」の8種類の熊が存在していた。
彼らは皆、理由もなく人類から恐れられ、残虐な行為を余儀なく受けていたのだ。
こうした生活が続いた結果、熊達は次第にイギリスを見限っていくことになる。
現代のイギリスで突如姿を消してしまった熊達は一体どこへ行き、どのような過程を経て、イギリス国内での絶滅へと追いやられてしまったのか。
そして、当時のイギリス人は、なぜここまで熊に厳しく当たっていたのだろうか。
全8話の連作短編集で登場する数々の熊に焦点を当てた、奇妙でちょっと恐いおとぎ話をお楽しみください。
ユーモアとシビアが隣り合う世界観
この本は全158ページ8話で構成されており、古のイギリス人と熊の関係性をユーモラスに描いた物語が特徴です。
各章には、ロンドンの地下に閉じこめられた挙句、人間が出した汚物を川へ運ぶ労役につかされた「下水熊」や、森を徘徊する悪魔として罵られてきた「熊精霊」など、様々な背景を抱えた熊達が登場します。
彼らは当時のイギリス人から理由もなく恐がられており、人間の身勝手な行動に従いながらも、何とか耐え凌いでいたのです。
想像の世界のように感じられるストーリーの裏側では、こうした理不尽なシーンがふんだんに盛り込まれており、人間の愚かさや浅はかさを度々痛感させられます。
人間にとって熊は凶暴で危険な存在ですが、「結局のところ、一番残酷で危険な存在は人間なのではないか?」と感じさせられる作品に仕上がっている点は、本作の注目ポイントです。
また、このような暗いテーマを扱っている小説は、恐くてなかなかページをめくれないという方も多いかと思います。
ですが、魅力的なイラストやほっこりとする描写が豊富に盛り込まれているため、想像以上に軽快なテンポでサクサクと読み進めることができるのも、嬉しい点といえるでしょう。
かつてのイギリスの過ちを描く物語
本作は、架空の舞台のもとで描かれる不思議な世界観が特徴的ですが、想像の世界を面白おかしく表現した単なるおとぎ話ではありません。
ストーリー上は、熊達が次第に数を減らしていく過程がユーモラスに描かれていますが、その物語は「過去のイギリスで熊が絶滅した」という実際の事実に基づいて描かれています。
かつてのイギリスでは、熊の乱獲や虐待などを行う「熊いじめ」が流行したことで、野生の熊が数を減らしていったと言われています。
豊富なイラストや軽快なストーリー進行によって、馴染みやすい印象を与える本作ですが、その背景には、こうした悲しく切ない歴史が根付いていたのです。
当時生息していた熊の絶滅した背景や歴史は、本作の「あとがき」にも詳しく記載されています。
そのため、まずは本作のあとがきを読んだ後に、寓話のような世界観で描かれた物語を楽しむのが一番おすすめです。
この本を執筆した著者は物語を通じて、イギリス人の過去の過ちに対する贖罪や追悼の意を、熊に向けて送っているのではないかと思います。
スラスラと読める内容であると同時に、人間の愚かさや自分勝手さを痛感させられる重厚な描写も盛り込まれているため、過去の歴史とじっくり向き合いながら物語の世界に浸れるのは、本作の魅力といえるでしょう。
絶滅した熊に捧げる、奇妙で切ない物語
著者のミック氏は、短編映画の脚本や監督を手掛けてきた後、1997年に『穴掘り公』」で作家デビューを果たしました。
デビュー作ともいえる『穴掘り公爵』は、イギリス史上最高の文学賞であるブッカー賞を受賞し、作家としての経歴がまだ浅い中にもかかわらず、多くの読者の注目を集めることになります。
ミックさんがこれまで執筆してきた作品は、物語設定や登場人物の心境などの細かな描写を、あえて切り捨てているものが多いといわれています。
ストーリーの成り行きを読者の想像力に委ねる形で描かれる作品は賛否両論ありますが、少なくとも、注目の的になったことに間違いありません。
冗長な描写や背景説明が必要最低限に抑えられていることで、読者によって物語の受け取り方や解釈が大きく異なるのは興味深い点といえます。
そんな多彩な描写を得意とする作家が生み出した『こうしてイギリスから熊がいなくなりました』の作品は、「イギリス人と熊の絶滅の関係性」という事実に基づいたテーマを扱いながらも、おとぎ話のような軽快さでテンポ良く進行していくストーリー展開が特徴的です。
途中で印象的な挿絵やファンタジー要素強めの描写も豊富に盛り込まれているため、「暗いテーマの物語は感情移入しすぎてしまって、なかなか手に取れない…」という方でも、リアリティを感じすぎずに物語の世界に没入することができます。
学びありユーモアありの「大人のための寓話」をじっくりと楽しみたい方は、ぜひ読んでみてください。
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