政治団体に所属する女子大生・三廻部凛は、自身の両手首を頭上で縛られた状態で目を覚ました。
彼女は、何者かによって密室に監禁されてしまっていたのだ。
そんなとき彼女は、顔を焼かれた謎の死体と、凛と対抗する思想を持つ男・大輝が一緒に閉じ込められていることに気付く。
不安と恐怖に苛まれる中、凛は必死に記憶を辿ろうとしたがどうしても思い出せない。
ここは一体どこなのだろうか。
そして、誰が何の目的で密室空間へと監禁したのだろうか…….。
対立する思想の政治団体に所属する男女の背景と死体の謎に迫る、閉鎖空間ミステリー。
読者の恐怖を煽る、緊迫感のあるクローズド・サークル
目を覚ますと、見知らぬ密室空間の中で両手首を縛られた状態になっていて、目の前には正体不明の謎の死体が横たわっている。
そんな絶望的な状況から、本作の物語は始まります。
密室空間ミステリーと聞くと、少人数の登場人物の1人が殺人事件などに巻き込まれ、残された人物の中から犯人を探すというストーリー展開の物語が多い印象ですが、本作では少し毛色が異なるように感じられます。
というのも、ストーリー初期時点で主人公達は、死体の正体が何者であるかまったく検討がついていないためです。
幸いにも凛と大輝はスマホを所持していて、外部との通信も許されている状況ではありますが、彼女達の記憶はあまりにも曖昧なため、死体と一緒にいる原因を説明できるはずもありません。
こうした緻密な設定が施されていることにより、この本の物語には実質クローズド・サークルのような世界観が備わっています。
目の前になぜ死体が横たわっているのか分からない不安と、殺害した犯人が今もなお、密室空間にいるかもしれないという恐怖感。
冒頭から想像が掻き立てられるような工夫が盛り沢山のため、読み始めてから間もないうちに、臨場感のあるストーリー展開につい引き込まれてしまうことでしょう。
密室ミステリーの過程でぶつかり合う政治思想
密室空間への監禁や謎の死体発見など、序盤からこれでもかと展開される緊迫感のあるストーリーは本作の見所の1つです。
しかしながら、その過程で巻き起こるキャラクター同士の「政治思想のぶつかり合い」もまた、迫力感満載で見逃せません。
本作の物語は、隣同士の区切られた密室空間に監禁された女子大生の凛と男・大輝が主人公になって進行していきますが、2人は相反する政治思想を持つ人物同士です。
ともに協力して、密室空間での意見を聞きながら状況を整理していきますが、政治の話題に移るとお互いに譲らない姿勢をとり続けます。
そんな白熱した空気感の中で、民主主義やSNSのリスクなど、数々の政策に対する政治的見解が両者それぞれの視点から交互に描かれていくため、政治番組を見ているかのような感覚になることでしょう。
政治理論にあまり興味がない方は序盤を読み進めるのに少し退屈してしまうかもしれませんが、現実世界の政治問題にも通ずるリアリティのある思想が散りばめられているので、「政治分野の勉強」として眺めてみると面白いかもしれません。
クローズド・サークルならではの推理要素満載のストーリーと、対立する政治描写が組み合わさった新鮮味溢れる本作は「ちょっと珍しいジャンルの小説に挑戦してみたい!」という方には、ぜひおすすめしたい1冊です。
密室脱出と政治思想のジャンルが絡み合った新感覚ミステリー
著者の市川さんは1976年に神奈川県で生まれ、2016年に本格推理ミステリー小説『ジェリーフィッシュは凍らない』で第26回鮎川哲也賞を受賞した後に、作家デビューを果たしました。
中学時代以降には本格ミステリー小説に熱中し始め、「新月お茶の会」と呼ばれる文芸サークルを通じて、自身の小説の執筆や投稿活動を行っていたそうです。
『ジェリーフィッシュは凍らない』の刊行後には、1、2年周期で渾身のシリーズ作品などを残し続け、本格ミステリー作家としての知名度を上げてきました。
かなりの労力とアイデア力を要する作品を定期的なスパンで継続的に世に発信し続けられているのは、学生時代から長い間培ってきた執筆経験と情熱があるからこそ成せる業なのかもしれませんね。
そんなミステリー作家の名手である市川さんが生み出した本作『神とさざなみの密室』は、密室空間に横たわった死体と男女2人の背景に迫る本格密室空間ミステリーです。
閉鎖空間ミステリーならではの未知にあふれた本作の物語は、読者のワクワク感を呼び覚まします。
主人公がなぜ密室空間に監禁されているのか、目の前にある死体は一体誰なのか、犯人は一体どこにいるのか。
序盤からこうした数々の疑問で頭がいっぱいになりますが、謎が多い分だけ推理の幅が広がるのは、本作の興味深い点の1つといえるでしょう。
また、2人の主人公の間で繰り広げられる政治論争は、やや難解な描写が散りばめられながらも、読者の知的好奇心を刺激します。
物語の真相を探る推理要素とは趣旨が若干異なり、政治事情に関心を向けるきっかけにもなるため、1つの学問に向き合う形で本書を読み進めるスタイルをとってみるのも面白いでしょう。
ミステリーメインだけれど、どこかまったく新しいジャンルの小説を読んでいるような新体験を実感できる作品に仕上がっているので、興味がある方はぜひ読んでみてください!