厳格な法律の適用から、「無罪病判事」とさえ揶揄されてきた嘉瀬清一は、裁判の結審直後に倒れてしまう。
言い渡されていたため有効とされた判決はまさかの『逆転無罪』であり、この無罪判決によって将来の出世の道を断たれたも同然の検察側・大神護はすっかり打ちひしがれていた。
その後、この事件で逆転無罪・放免となった看護士が殺害されたと知った大神は、判決の真意を確かめるために嘉瀬の元を訪れるものの、老人ホームに入居していた嘉瀬はすっかり昔の面影も無く会話もままならない状態となっていた。
有罪率99.7%の日本で、なぜあの事件は逆転無罪とされたのか?
無罪となったはずの看護師はなぜ殺されたのか?
あの判決の裏には何が隠されているのか?
これらの謎がある別の事件と絡まりあいながら、ある一つの答えを導き出します。
下村敦史『法の雨』
無罪を乱発する判事が倒れるところからストーリーが始まるこの小説。
この判事が『逆転無罪』判決を出していたこと、そしてその無罪によって放免されたはずの看護師が何者かに殺されたこと、肝心の判事が認知症となってしまい判決の真意が一切わからなくなってしまったことで、検察官・裁判官・弁護士それぞれの正義がだんだんと狂い始めます。
そして、判事が倒れたことによって生まれたもう一つの事態が、読者をより本書に引き込む結果に。
つまり、判事が倒れて認知症となったことで家族以外の弁護士が判事の成年後見人となった結果、判事の家族さえもその財産を引き出せなくなってしまったのです。
その財産を引き出すことができなければ、彼の孫の入学金を払うことは出来ず、苦節して医学部に合格した孫の未来は閉ざされてしまうことに。
無罪判決の真意はどこにあるのかという問いとは別に、入学金の支払いといったある種の「タイムリミット」を設定することで、作品全体に程よい緊張感・焦燥感を付与することができたと言えます。
もしかしたら読者は、無罪判決の事件の真相よりもこの「入学金支払問題」の方に気を取られてしまうかもしれませんね。
しかしそうはいかないのが作者である下村敦史さんのすごさです。
検察官・裁判官・弁護士それぞれの立場や正義が複雑に絡み合い、時に立場が逆転し、だんだんと事件の行く末から目が離せなくなってきます。
さらに中盤では予想もしなかった異色のコンビが誕生し、読者のページをめくる手は止まらなくなるはず!
果たして何が真実で何が正義なのか、そもそも正義とは・法とは何なのか……いろいろと考えさせる小説でもあります。
始めのうちは読者には悪人に見えていた登場人物も、視点を変えれば己の信じる正義に従って行動していることがわかってくるなど、二転三転しながら進んでいくストーリー。
派手な殺害シーンやトリックなどは無いものの、自身を守ってくれるはずの法律によってじわじわと首を絞められているかのような絶望感を見事表現しきっている名作ではないでしょうか。
ちなみに、題名にも「法」の字が入っているなどいかにも難しそうな印象を受ける本書ですが、構える必要はありません。
作者の言葉巧みでわかりやすい文章により内容が頭にすいすい入ってきます。
何より先が気になる展開となっており、一気読みすること間違いなしの作品です。
果たして何が真実で何が正義なのか
本作が主題の一つとしているのが、作中にも登場した成年後見人という制度です。
成年後見人制度は自らの意思でさまざまなことを判断することができなくなった人に後見人をつけ、財産管理や契約など法的な問題に対処してもらおうという制度のこと。
家族が後見人となることもありますが、現実的には弁護士など家族以外の他人が後見人を務めることが多くなっています。
弁護士が後見人となることで悪意を持った親族の財産の使い込みを防ぐことができる一方で、本当に困っている家族にとってもこの制度が高い壁になっている現状があるのです。
成年後見人制度とは誰のための、何のための制度なのか?
そういった観点からの疑問が作品の一角を形成していると思います。
さて、題名の『法の雨』とはどういった意味なのでしょうか?
この言葉は仏教用語の『法雨』からきており、本書の作者は次のように説明しています。
つまり、「雨が万物を潤すように、仏法が衆生を救うことのたとえ」であり、「救いの雨でもある」と。
いったい『法律』とは誰を守るためのものなのか?
何のために司法というものが存在しているのか?
ミステリというエンタメ作品である本作の中にも、こういった現実的な問題への問いかけが垣間見られるように感じました。
法律という難しい題材を取り上げている一方で、読みやすい文章・テンポの良い展開は作品を通して徹底されており、考えさせるエンタメ作品として一級品と言うことができる作品です。
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