舞台は1938年の満州。
日ソの国境紛争で緊張が高まる中、ある事件が起きた。
元陸軍中将・小柳津義稙の邸宅で行われた晩餐会で、官僚・岸信介の秘書が毒殺されたのだ。
私立探偵・月寒三四郎は、岸からの依頼を受けて真相究明に乗り出す。
しかし捜査を進めるほど、不可解な点が出てくる。
毒の種類や盛り方、事件前に小柳津に届いた古い銃弾、そして『三つの太陽を覚へてゐるか』という謎めいた脅迫状……。
月寒はこれらのピースをつなぎ合わせ、事件の発端がシベリア戦線にあるのではないかと推理する。
ところがそれを嘲笑うかのように、次の殺人が起こってしまい―。
史実をベースに描かれた、本格派の歴史ミステリー!
史実が絡んでいるからこそ面白い、ifの世界
『幻月と探偵』は、第二次世界大戦勃発(1939年)の直前、日本が満州を統治していた時代の物語です。
この作品の面白いところは、舞台も登場人物も、とにかく史実絡みであること。
舞台は、日本の近代史でおなじみの満州国ですし、そこを実質支配していた関東軍やハルビン憲兵隊が登場します。
登場人物も、なんと岸信介が出てきます!
岸信介と言えば、第56~57代内閣総理大臣で、「昭和の妖怪」という異名でも知られる伝説的な政治家です。
また、先の内閣総理大臣・安倍晋三氏のおじい様でもあります。
このように『幻月と探偵』では、歴史の授業で誰もが見聞きした覚えのあろう単語や人名が、目白押し!
それだけでも興味をそそられますが、そこにさらに月寒三四郎という架空の私立探偵が加わることで、より面白味が増します。
史実ベースの舞台で、ifの世界が色鮮やかに広がっていくのです。
たとえば岸信介は、作中では腹に一物抱えている感がありありと出ています。
何かを隠しているのか、あるいは企んでいるのか。
明らかに闇の部分を持っており、それが月寒の活躍でだんだんと見えてくるのです。
もちろんフィクションですが、なにせ実在した人物ですから、読み手は「あの岸信介がこんなことをするの?こんな目に遭うの?」と、興奮します。
架空の人物による架空の言動よりも、ある意味リアリティがあって、ワクワクするのです。
連続殺人事件も当然フィクションなのですが、人物や舞台が史実通りなので、読み手は「もしかして本当に起こった出来事なのでは?」なんて、つい思ってしまいます。
だからこそ興味津々で、面白く読めるわけですね。
主人公を応援しつつ、一緒に謎に立ち向かう
史実がふんだんに登場するものの、『幻月と探偵』のベースはミステリーです。
猛毒を使った殺人事件や、怪しげな脅迫状、停電中の変死などなどドキドキする展開が続くので、ミステリー好きにはたまりません。
そして、その不可解な現象を追う月寒がまた、魅力的!
一見平凡で冴えない感じなのに、鋭い洞察力と熱いハートを持っていたり、狡猾なようでいて、巻き込まれてひどい目に遭ったりと、とにかく人間味のある探偵なのです。
何しろ登場シーンからして、どこかユーモラス。
訪ねてきた依頼人の服装や車を見ただけで、どこの誰だか見事に言い当てるという、かの名探偵シャーロック・ホームズを思わせる芸当をやってのけます。
しかし実はこれが、ヤラセというか、自分を優秀な探偵に見せるための演出だったりします。
そういう少し道化じみたところに、読者は親しみを覚え、なんだか応援したくなるのです。
泥臭くても探偵としての力量はしっかりあり、月寒は荒廃した満州の地を駆け回りながら、真相をどんどん暴いていきます。
その真相は決して意外すぎるものではなく、伏線やヒントがきちんと用意されてます。
物語が進むにつれて少しずつ明らかになっていく構成なので、読み手は月寒と一心同体になったかのように、一緒に謎解きを楽しめるでしょう。
時代背景もトリックも楽しめる歴史ミステリー
史実とフィクションとが絶妙に絡み合った、歴史好きにもミステリー好きにもたまらない作品でしたね。
歴史といっても、当時の情勢や背景の描写が丁寧なのでわかりやすく、歴史が苦手な人にも入り込みやすいです。
むしろこれを読んで近代史に興味が湧き、苦手意識がなくなっていくかもしれません。
さらには政界にも、興味の範囲が広がっていきそうです。
これが、作者の伊吹亜門さんの作風です。
伊吹亜門さんは本書『幻月と探偵』以外にも、『刀と傘 明治京洛推理帖』『雨と短銃』の2作品を著しており、どちらも舞台が明治や幕末と、史実絡みです。
読めば読むほど近代史に造詣が深くなりますし、他にも読んでみたい気持ちにさせられます。
知りたい学びたいという気持ちが、とにかくくすぐられるのです。
それでいて基本がミステリーですから、スリリングな展開やトリック、推理まで楽しめて、本好きには二重三重に面白い!
読み始めたが最後、伊吹ワールドにとことん魅了されますよ。
また『幻月と探偵』は、今の時代を生きる人間だからこそ、読むべき作品とも言えます。
というのも、真犯人の動機に、当時の満州ならではの事情や理由があるからです。
そこには一種の狂気や哀愁があり、平和ボケした我々には最初はピンと来ないかもしれません。
しかしクライマックスまで来ると、ハッと気づかされますし、深く考えさせられます。
「今の平和な時代の土台には、こんな思いも確かに存在していたのだろう」と。
読了後にもう一度最初から読むと、真犯人の思いを知っている分、作品そのものの印象が違ってくると思います。
ぜひ二度、三度と読んで、この時代を生きた人々に心を通わせてみてください。
もしかしたら、日本そのものに対する見方も変わってくるかもしれません。
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