深夜の運転中、マイクは全身びしょ濡れの少女に頼まれた。
「うちまで乗せてくれない?」
少女の名はキャロルアン。
彼女は生きた存在ではなかった。
56年前に湖で溺れ死んでおり、助けを求めてさまよっていたのだ。
マイクはキャロルアンが車内に残していったサドルシューズを返すため、彼女が眠る墓地へと向かった。
古ぼけてすっかり荒れ果てたその墓地には、キャロルアン以外にも多くの子供たちが眠っていた。
彼らは次々にマイクのもとに集まってきた。
「みんなの話を聞いて。話を聞いて」
怯えるマイクに、女の子が青白い手を差し伸べて呟いた。
「あたしたち、自分の話を聞いてほしいの。死んだ時の話を」
ホラー展開から始まる切ない物語
『ぼくが死んだ日』は、シカゴ郊外の墓地を舞台としたゴーストストーリーです。
夜中に車に乗せた少女が実は幽霊だったという、ホラーでは定番のシチュエーションから始まります。
しかし『ぼくが死んだ日』は、決して安直なホラーではありません。
古びた墓地に来たマイクに、子供たちの幽霊が死に際について語るのです。
なぜ死んでしまったのか、どのような思いを抱えて死んでいったのか。
それを打ち明け聞いてもらうことで、子供たちは浮かばれようとするわけですね。
そのため『ぼくが死んだ日』は恐怖心を煽るようなものではなく、もの悲しさや切なさの詰まった心に染み入る物語と言えます。
もちろん夜中の墓地で子供の幽霊たちに取り囲まれるという状況は、かなり恐ろしいものがあります。
想像するだけで、ちょっとゾッとしますよね。
それでも根底にあるのは、死ななければならなかった子供たちのやるせない思いと、誰かに聞いてほしいという寂しい思いです。
しかも各章のタイトルが、
ジーナ(1949~1964)
ジョニー(1920~1936)
スコット(1995~2012)
など、子供たちの名前と生没年になっています。
どの子供が、いつ何歳で亡くなったのかが、ぱっと見でわかるのです。
これまたなんとも、悲壮感がありますね。
彼らがなぜこの幼さで亡くなってしまったのか、読み手は胸を締め付けられるような思いで、ドキドキしながらページをめくることになります。
様々なテイストのエピソードを楽しめる
子供たちが語る死のエピソードは、全部で10人分あります。
それぞれジャンルやテイストが異なっていて、そこが『ぼくが死んだ日』の見どころであり魅力です。
たとえば最初に語られるジーナの話は、悲しみにあふれています。
空想を楽しむ癖のあるジーナは、周囲から「嘘つき」呼ばわりされていて誰からも信じてもらえません。
そんなジーナが正真正銘の嘘つきのアントニーに嵌められ、放火の犯人にされてしまうのです。
可哀想にジーナは真実を訴えながら死んでいきます。
次に語られるのは、不幸な境遇からコソ泥をしているジョニーのエピソード。
ジョニーは葬儀屋に忍び込み、遺体から金目の物を奪っていました。
死人から盗んでも、本人は警察を呼びっこないからという理由で。
しかし盗みの最中知った人の遺体と遭遇し、そこから歯車が狂っていくのです。
次は、カメラ少年のスコットのエピソード。
スコットは幽霊がいないことを証明するために、廃墟となった精神病院に撮影に行きます。
そこではかつて、患者を風呂で釜茹でにしたり、子供がフェンスで串刺しになったりと、血なまぐさい事件が多発していたらしく……。
このように、どのエピソードも雰囲気が違っています。
この他にも、ダークファンタジー的なものや、B級ホラー的なものまであり、多種多様!
通販で買ったペットが、実はモンスターだったり。
出来の良い姉を消すために、悪魔の鏡を使ったり。
友達を救うために、自分が犠牲になったり。
ひとつ読むたびにガラッと様変わりする構成は、読み手を退屈させません。
しかもそれぞれが程よい長さなので、独立した10種類のショートストーリーを読むように楽しめます。
短編集に近いものがあるので、スキマ時間に少しずつ楽しむにはもってこいの一冊です。
ヤングアダルトにも大人にもおすすめ
作者のキャンデス・フレミング氏は、フィクションとノンフィクション双方の分野で活躍されている作家です。
児童文学も多く発表されているそうで、本書『ぼくが死んだ日』にもそのテイストが色濃く出ています。
というのも、まずは語り手たちが年若い子供なので、ティーンエイジャーの読者には特に身近に感じられると思います。
そしてエピソードの中には現実離れしたホラーコメディ的なものも多く、これまたティーンエイジャー受けしそうです。
ただしヤングアダルトだけでなく、大人が読んでも興味深く味わい深い作品だと思います。
特に子育て世代の方にとっては、この早すぎた死のエピソードの数々は胸にグッと来るものがあるでしょう。
また『ぼくが死んだ日』には、古典文学をオマージュした部分が随所に出てきます。
たとえば、子供のセリフにシェイクスピアからの引用があったり、『猿の手』や『黄色い壁紙』など古典ホラーを思わせる展開があったり。
そのため、元ネタを探りながら懐かしんで読むのも『ぼくが死んだ日』の楽しみ方のひとつと言えます。
このように様々な要素が詰め込まれた作品ですが、根っこの部分にあるのは一貫して「救い」です。
子供たちの幽霊はこの世に留まっている状態から、なんとか浮かばれたいと切に願って主人公のマイクに語るのですから。
そしてマイク自身、ラストで救われることになります。
何から救われるのかは、読んでからのお楽しみ。
切なくも胸のすくような読後感を、ぜひ味わってみてください。