東京都内の地下鉄駅で、30代男性の飛び込みがあった。
遺書らしき文書やホーム内の防犯カメラの映像から、自殺で間違いなさそうだった。
しかし二人の刑事、山本警部と早川警部補が屍体を調べると、不審な点があった。
大腿部にタトゥーシールで「暃」と描かれていたのだ。
都内では、他にもこの文字が描かれた自殺屍体が確認されていた。
20歳の男性、22歳の女性、39歳の女性、そして今回の30代男性が四人目となる。
自殺の時間や場所、方法はそれぞれ異なっており、彼らが知り合いだったわけでもない。
それでもなぜか全員、体のどこかにこの謎の文字が描かれているのだ。
これらは連続した事件なのだろうか?
山本と早川は真相を解明するために、「暃」が持つ意味を調べ始めるが――。
読みも意味も存在しない文字
『5A73』は、文字を分析することで事件を追うという、一風変わったミステリータイプの物語です。
タイトルからしてちょっと不思議な感じですが、これは「暃」という文字の漢字コードだったりします。
「暃」←これ、読めますか?
ほとんどの方がピンと来ないと思いますが、それもそのはず、実はこの文字には読み方がありません。
読みどころか意味もなく、使い方は全くの謎。
環境依存文字や個人が作った創作文字ではなく、JIS基本漢字としてきちんと登録されていますし、PCで入力することもできます。
漢字コードだってしっかりあるわけで、にもかかわらず何故か読みも意味もない。
こういう文字を「幽霊文字」と呼ぶそうです。
『5A73』は、この幽霊文字「暃」が自殺者の体から発見されたところから始まります。
太ももの付け根あたりにタトゥーシールで描かれており、屍体が文字ごと轢断されていたことから、死後誰かが現場で貼ったとは考えにくいです。
不思議なことに都内では、同様の自殺者が複数報告されており、今回で四件目。
自殺者たちに共通点は見当たらず、性別も年齢も職業もバラバラであり、なのになぜか皆一様に「暃」のタトゥーシールを貼っている。
自殺志願者の間で流行しているおまじないなのか、それとも何らかの事件なのか?
この謎を解くために、「暃」が持つ意味を二人の刑事が調べる、というのが『5A73』の主な流れです。
とにかく読みも意味もない幽霊文字ですから、誰に尋ねても答えを得られず、インターネットにも正解はありません。
調査は難航し、そうこうしているうちに五人目の自殺者が出てしまいます。もちろんその体には「暃」のタトゥーシールが……。
さらに、全ての自殺者と繋がりを持つ「ヘッドフォンの男」が現れたりと、どんどん目が離せない展開になっていきます。
文字の謎と自殺の連鎖
『5A73』では、二つの視点を切り替えながら物語が進んでいきます。
ひとつは「暃」について調べる刑事たちの視点で、もうひとつは自殺者たちの生前の視点。
前者で「暃」について考察しつつ、後者で自殺者たちのことを少しずつ明かしていくという流れになっています。
それぞれのパートに違った面白さがあり、まず刑事たちの方では、「暃」の考察をパズル的に楽しめます。
たとえば、「暃」を上下のパーツに分けると「日」と「非」になりますよね。
そのことから、「どちらもヒと読む漢字だから、暃の読み方はヒではないか?」という推測や、「日に非ずと書くから、日中ではない=夜、という意味では?」という意見が出たりします。
こういった色々な解釈があって、それぞれに理屈が通っており、「なるほど!」と感心させてくれます。
読んでいると自分なりに「こういう解釈はどうだろう」と考察してみたくなり、そこも魅力です。
一方自殺者たちのパートは、雰囲気がガラッと変わってサスペンスホラー的になっています。
まずは、一人目の自殺者をある人物が目撃します。
その人物は屍体に「暃」の文字があることに気付くのですが、その後自分も体に「暃」を刻んで自殺してしまいます。
つまり一人目の自殺者を目撃した人が、二人目の自殺者になったわけですね。
以後もこの流れが続き、まるで「暃」の文字が自殺を連鎖させているような、不気味な雰囲気になっていきます。
一体「暃」とはどういう存在なのか、読み進めるほどに気になってたまらなくなります。
詠坂ワールドを存分に楽しめる一冊
『5A73』は、トリッキーな作風で知られる詠坂雄二さんの作品です。
氏の作品で特にトリッキーと言われているのは『電氣人閒の虞』で、これは都市伝説に関わった人々が次々に不審死していくという物語。
全く予測できない展開に振り回され、ラストで目がくらむほどの大ショックを受けた方も多いのではないでしょうか。
さて今作『5A73』は、この『電氣人閒の虞』に勝るとも劣らないトリッキーな作品だと思います。
謎めいた文字「暃」と、自殺者たちの奇妙な共通点という二種類の謎を巧みに融合させ、「わけがわからないけど絶対に何かありそう!」と読者を推理の渦へと引き込む手腕は流石の一言。
刑事と自殺者のどちらのパートでも、読者は謎解きという知的遊戯を存分に楽しめるようになっています。
それでいて最後の最後に、その謎解きが全て崩されてしまいます、ええもう木っ端みじんに。
そして読者は、言いようのないくらいの虚無感、あるいは頭を掻き毟りたくなるようなフラストレーションを、心に残されることになるのです。
このトリッキーさは、正直好みが分かれると思います。
人によっては「これぞ詠坂作品!」と楽しめそうですし、人によっては「これはミステリーではない」と否定することもありえます。
個人的には、詠坂雄二氏のファンや変化球的な作品を好む方にとっては大好物となりうる傑作だと思います。
百聞は一見に如かず。興味のある方は、ぜひこのトリッキーな詠坂ワールドに足を踏み入れ、衝撃を楽しんでください。
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